プログラミングは実装と呼べるのか

俺がコンピュータの勉強を始めた23年前、既に計算機など時代遅れだと言われていた。

それでもテレビゲームが好きで自分で作ってみたいという思いから色々と勉強した。

気付いた時にはゲーム会社ではなく計算機関連企業の管理職になっていた。

まあ、管理職というとふわっとしていて、国家公務員なので得体の知れない仕事。

今でもそうだが働いても汗をかかないデスクワークのような仕事だという想像をされる。

そうして、それで細々と暮せば問題なかったのだけど、野心を抑えられなかった。

そうして、コンピュータをもっと社会の中で目立つようにと企画を立てていくと、ついに機械が人間を征服するという昔の漫画みたいな恐怖を想像させるプロパガンダが貼られた。

しかし何のことはない。計算機は何をするではなく、通電するだけの回路のようなものだ。

問題はノイマン型コンピュータである。それまで回路であったものが電気と磁気で実現される。それに実体はあるのか、どのように物理学で考えられるか。それらを可視化するのがディスプレイで、操作するためにキーボードを使い、合体させたのがパーソナルコンピュータ通称パソコンである。「ソフトウェアを仕事にする」というより「パソコン関係」と言ったほうが通じた。

ところで、ソフトはパソコンで作るものであるが、その立案には人間の頭と紙とペン、パンチカードを使っていた時代もあるが、考えてから組み立てるものである。ただし、コンパイラの登場によってざっくり考えて作ってみて、パソコンが返すエラーメッセージから機械から人間が学習して何度も試行錯誤を繰り返すというのが昨今の通例ではないかと思う。

もともと回路から出発しているので、紙に図面を引くのが設計で、基盤に半田付けすることを実装と呼んだのであるが、パソコンに座ってエクセルで図面を考えてエディタで組み込んでコンパイルして実装とする。何でもスマホで出来る時代ではあるが、俺が現場にいた頃はまだタブレットスマホは普及しておらずタワー型のパソコンでそれでも1台で何台分も計算していたのであるが、法規などの旧制の仕事には日本語で上官などに報告書を書かねばならず、色々な齟齬があった。

ここまでで既に意味不明かも知れないが、ソフトウェアとは何かと考えると、ハードウェアと比較して、

旧式は回路の実装であったとすると、

ハードウェアが「堅装」

ソフトウェアは「軟装」

という風に翻訳するのが正解ではないかと思われる。固い実体こそ示せないものの電磁気的には存在して、機械の中で柔らかく存在する何かしらを装着する仕事である。

ちなみにファミコンが儲かったのはソフトウェアの発明により無料化されつつある軟装回路を敢えて旧式の堅装回路に組み直して販売して、電磁気的なコピーを阻止したからである。

まあ、プログラミングが実装と呼べるのかというところは議論に上がりがちだが、実装を堅装としか捉えられない人が仕事で汗をかいていないというのと同じ論理で語っているだけ。

求められている仕事は何かということを考えると、企画から設計にウェイトを置くとパソコンで軟装までやるのは充分に仕事だと俺は考えている。

それと、計算機関連の初動で成功した会社は既に利益を金融や契約に回して管理会社になっているのである。人々は計算機の軟装という得体の知れないものに管理されているのではなく義務教育で習う言葉や社会秩序に契約書類の文言と暴力による実定に支配されている。

支配されていると思ったらコンピュータの電源を切れば良いだけの話なのである。