GLAYを3曲ほど聴いてから、ギターの雑誌をペラペラとめくって読んでいた。
アルフィーの坂崎さんが吉田拓郎から音楽にはまった話を読みながら、そういえばGLAYのギタリストでほとんどの曲の作詞作曲名義者であるTAKUROさんは音にすると吉田拓郎と同じ「たくろう」である。テレビの字幕や歌詞カードは漢字に仮名に英語にと、目で区別できるから色々な意味を想像するのであるが、ギターだけでなく音楽の譜面の歌詞は基本的にすべて仮名で振られていて、つまるところ表音文字である仮名にして同じものの区別がない。
ああ「たくろう」が書いているのだな、と思ったところで、吉田拓郎の名盤のひとつでも勉強に聴いてみようと思ったのである。音楽家を自称していると娯楽であるレコード視聴に「勉強」の語が当てられるところが良い。
「人間なんて」の出だし、ギターがジャカジャカとかき鳴らされ、拓郎が歌う。ギターも歌も何てヘタクソなんだと思ってしまう。これが名盤なら昭和の邦楽シーンのなんて酷いことか、ああ音楽は進化しているのだなと思ったところで、ハモニカが入る。ギターと歌だけでは下手だと思った演奏が、ハモニカと混ざり合い、やがてハモニカが消えてギターと歌に戻る頃には不思議と引き込まれていた。やっぱ拓郎天才。
そう思うと、GLAYもうひとりのギタリストHISASHIの絡みが大事なトコロなのかなとは常々思ってんだけど、最近のHISASHIさん「ジャズマスターを買う」とか「バンドアンサンブルでは普通に弾いてもあんまり分からないけどGLAYっぽさを出すには6弦に休符を入れるのがポイント」などなど、ファン向けチャンネルで暴れていらして、疑問系に思うこともしばし。
それから、ギターを抱えて歌詞とコードを書いた手書きのノートをペラペラとめくり、ZIGGYのI'm getting blueを色々な弾き方の実験台にしてみた。ついにやってしまった感は、俺は自撮りのギター弾き語りをアップロードしながらも、からかっているようなバンドとマジリスペクトで原曲を汚したくないと思っているバンドに内面で分かれていたのだが、今日からちょっとずつマジでリスペクトな楽曲に対して自分なりにメスを入れて、自分の演奏に落胆しないような形に収めるまでいじってみようという気になった。
そうすると、原曲CD聴きまくりでガッチリだったテンポがジャズのように揺らぐことで早くしたり遅くしたり、これが自在かというと、元がどんなだったか分からなくなるというリズムの罠で初心者かよと思われそうな落とし穴に初めてハマる。
ただ、コピーバンドとかモノマネでそれ以上何をやっていいのかという壁は壊れたんだ。山を登って高いところに辿り着いて下を見下ろすような日が来ると思っていたら、仕切りの壁を壊して真っ平らになったみたいな変化だ。
色んな音楽があって、上手いとか下手というのは分からなくなる。
クラシックピアノでは速さと正確さで決まるものだとは知ってて、そしてその意味に於いても自分はまだまだなの分かってる。それはまだ、そこに壁があることが分かって先に何があるのかというプレゼント箱か、びっくり箱か見たいな好奇心として残ってる。
それがギターの早弾きを無心で練習できる動機だから、それはそれで良いと思う。
蛇足を書いてしまったが、壁が壊れて平たくなるような変化の感覚が今まで続けた練習で初めての感覚なので、こうして書き記しておく。