ギルドカードの日付が2011年の8月なのに気付いた。これでは証拠写真の意味が薄らぐが、それが俺が2011年にモンハンをしていた証拠となってくれるか、これは証拠のパラドックスで、それが証拠になるなら過去に時計合わせをして偽証することも出来うることになる。
このへんはサイコパスの同級生、ヨシイ君のなかでウソとは事象を示しているか否かという事ではなく「約束をしてそれを守る」のが本当で「約束を破ることがウソである」という風に彼が考えていることが分かったのだが、それは俺が「SFC版のキャプテンコマンドーが欲しかった、見つかれば買う」と言って、店に3万2800円で売られており「買えよ、約束だろ」となって俺は大枚はたいて買ったわけだが、これは実は店が定価という商売の約束を破って2万3000円の儲けを出したというロジックが欠落していることに今気づいたのである。
その後「なんでPS4買わんねん?」と聞かれ「高い上に4が付くのが嫌だ死を想起する」「そんなくだらんこと」「PS5が出たら買うね」と言ったがPS5の発売日には品薄で、しかも転売で定価を1万円以上超えた値段で見つかった。買えなかった。
この時点で俺はウソをついたことになるのだが、7万2000円の方が大事だった。
それはさておき、3DSの日付を正しく設定した。約束を守ることが正直であり友達であるという風に孤独な人に友情であるかのようなところを見せて、その約束を口実に高いお金を取る。俺は小学校から友達と仲良くなれず、不良から金づるにされたのだ。
それでも、孤独よりはその体験がある分だけ人間洞察は深くなる。そして、信頼関係という意味では一緒にゲームをするのではなく毎日弁当を作ってくれるスーパーのおじさんとかがいるわけで、主観的に学友と裏切りも含めた人間関係ゲームをしているように思うと孤独だが、町で仕事をしている人もまるで機械だと思ってしまうのではなく、人であると考えると、ものすごく恵まれて関係を築けているのである。
そりゃのり弁作って368円なわけで、そのために農業、漁業でコメ魚衣揚げ油きんぴらごぼう漬物塩昆布が入っていて調理済みなわけで、ゲーム友達というのが大体の人が親から買ってもらったコンピュータゲーム機という恐ろしく高価なおもちゃで満足せずに遊び相手を欲しているという意味で、その孤独は社会の失敗だと思う。人間同士で遊ぶことがトラブルとなる勝負事をコンピュータで疑似体験したもの同士が、その決着でトラブルを起こしているわけだから。
そう考えると、俺がストIIターボでマウントするのもどこかおかしいわけで、幾ら高校の時頑張っていたと言っても、同じ国技館で競う力士のような仕事だとするのは欺瞞であろう。コントローラでピコピコしていただけだ。ただ、ドラクエで勇者を操作して魔王を倒して世界に平和を戻したと錯覚するように、俺自身も格闘技をしている錯覚をしてそれが人間形成にもつながっているし、もちろん良い影響か悪い影響下は判じかねるが、モンハンもやり込む過程でネットでの動画観戦などで「上手くなれば裸でも勝てる!」という動画があったのだが、しかし武器はめちゃめちゃ強く、プレイヤースキルと言ってそういう人になり切っていたのだと思う。
実際、威力が上がると倒すまでが短くなるので、回避回数は少なくなる。防具を上げて守備力を上げると回避に失敗しても被ダメは減るわけだが、武器を上げることで回避回数が下がっているという事に気付かず、完全回避を達成したと信奉するわけだが、階数を数えると攻撃力の低い武器で同程度の回避に成功していることは俺にもある。
やはり裸でも勝てるのは武器所が違うことを巧妙に隠した欺瞞であって、装備裸のインパクトでハンターランクが高いとスキルも高いみたいな錯覚である。
それでも、こういう活字はメディアのインパクトとしては弱いわけで、ハンターランクを上げて写メ一枚のほうが求心力があるだろう。バーチャ4でも画面に段位が表示されるのが訴求力が高かった。ただ、俺は将棋で4級になった時に、奨励会に賞状を発行してもらうのに料金がかかることで、詐欺に思えて免状は出さなかった。同様に国家試験である情報処理技術者にも合格しているが、これも免状だけでお金がもらえると勘違いしている人も多いが、役職について通勤して勤務表を出して出勤現場でも何らかの頼まれごとを片付けてようやくもらえるのだ。この頼まれごとに関しては実際出来なくとも通勤証明できればもらえると知ったのは随分後のことで、やらなきゃもらえないと信じていたから、無理な納期を残業で片付けた。ただ、やらなくてももらえるが、その先には不当解雇などもあり、請求する相手である事業所が裁判までに倒産したりもしている。やはり当然ではあるが、経済社会では結果を出して売り上げを出さないと財源は無く、今は厚生年金という社会保障で生きている。
このへんの事情をヨシイ君はまだ分かっていない。薬剤師になって、お医者さん気どりであるが「公務員なんだよ」というと「何で薬師が公務員やねん?」「製薬会社から売薬買って手数料とって売ってるだけでしょ?」というと不服そうであった。製薬会社や分包機のメーカーでもプログラマとして働いたので、お医者さんが偉くて医学部の勉強が大変なのも分かるが、医療従事者には研究職などもあって、形骸化した医師を支えている社会のたくさんの人の役割を推し量ることがまだ出来ていないのだろう。薬局の外の話をもうちょっと知ってほしいと思った。
そのヨシイ君が警察ごっこで証拠合戦となり、俺の鉄拳王にムカついているのは分かるが、証拠と偽証の議論となった時に、証言が証拠になるなら嘘をついたら負けで警察の自供強制のように俺に脅迫をしてくるのだ。確かに俺はPS5を買えなかった嘘つきである。だか、それを拡大解釈してゲームでずるをしているとか、犯罪者であるみたくなってゆくのは膨らんだ私怨であろう。薬剤師というのはちょっとケンカの相手としては立場も強すぎて、実際のケンカの仕方も殴り合いではなくこうして文壇と写真で進めるわけだが、時計合わせが出来ていない実際の写真よりも証拠というか印象として偽証の方に説得力を持たれてしまうと、芸能人がマスコミの犬になってしまうように、ウェエブライターとして生きるには、文筆による虚構の構成と攻撃力が足りない。
真相報道を売り物にしているマスコミが実は欺瞞であり、そうしないと飯が食えない弱い立場でも例えば歌手とかだとカッコ良く取ってもらえる、ということに理解が及んでいなかったのだろう。俺は記者ではなくブロガーだが、このブログというのが誰のためにあるのかというと、真相報道に公益性があるとして、その公益の恩恵になずかるのがもし市民だとすると公務員である薬剤師には不利益となり、敵対関係を持つのだ。
これは最大多数の最大幸福を求めたときに貧しい人が得をしてお金持ちが損をする、金銭的なゼロサムゲームの直感と等しい。だが、薬師ならお金以外の事も分かると思って説得している。ジェネリック医薬品は市民のためになるが、先発医薬品が利益を上げることで新薬開発で助かる命もある。遠回しな命の選別のような論点があるのだ。