デッキを並べてみて何を書こうかと考えたが

 まあ先日のレシピからカードを入れ替えて「もう完成」と思う所まで来た。入れ替えたのも1週間ほど前だが、それからモンハンをしたり本を読んだりしてから見返しても「もっとこうしたら」と思うようなところはもうない。

 まあでも、デッキ自体はリミテッド寄りだとは思う。「これしか持っていないから」という理由で入っていて、MTGの世界としてはもっと強いカードもあるかとは思う。

 ただまあ、自分がMTGをしてきて引いたカードたちの中で「これ強そうだな」と思ったカード達が、色違いなりなんなりの理由を多色ランドが解決してくれたこともあるにはあるが、まあ無理なく自分の好きなカードが全部収まったと思っている。

 白ウィニーとボガーダンの槌を組み合わせたら強そう、という所は昔から思っていて、それが大好きな英仏米露の白青赤の三色旗としてデッキが白青赤になり、以前にも書いたが滞りなくマナを使ってカードを出す速攻戦略と相性のいい「マナカーブ」という確率統計の論理を踏襲しつつ、1枚ずつのカードを費用対効果コストパフォーマンスでもって概算して、古くには「火の玉」に代表されるX火力はフレキシブルで1マナ0点から2マナ1点、5マナなら4点、10マナなら9点という風に使えるカードがレベルアップ、サイクリング、モーフなど色々のセットのギミックで試験されたが、まあ軽いものでもって、ウィニー戦略でありながらカード切れを補う要素満載になり、そして高速のマナカーブからボガーダンの槌までバトンをつなげるようになり、1枚の魔力消沈が時にクロックパーミッションのように、またはカウンターバーンのように働き、低速デッキと親和性のあるハンドアドバンテージも3枚採用できた。

 そしてゲームが長引いた時の決め技は天使ではなくドラゴンとジンを採用して、そのインパクトが枚数で見ると白が多く次いで赤、青は少量ではあるが、ゲーム中のインパクトとしては3色とも意味があり、そしてランド事故を考慮してダブルマナシンボルとシングルマナシンボルの配分もまあまあ良好である。

 そして何より、四版当時のシンプルな英単語ではなく和訳された「闘争の学び手」や「内面からの光」「心の守り手」という体を表わした名前のカード達をとても気に入っている。自己満足ではなく是非カード名を読み上げてデュエルで使いたいと思う。

 まあ、1000人トーナメントでベスト8を取った時は実は13位から辞退での繰り上がりだったような気もするが、上位1%入るか入らないかビギナーズラックもあったようにも思うけど、あの頃のふわふわした感じではなく、どっしり自信は付いた。

 そしてデュエルした人の顔をひとりひとり思いだし、仲間と議論して良く負かされたそのひとつひとつは水掛け論とか押し問答で良く悩んだが、マナカーブ、コスパというような数理としてひとつひとつの長短両面を数学的に決着できたことが心の安定となっている。同時に、デュエル以外の用事で話したことのないひとりひとり「どういう人なんだろう」と知りたくなる気持ちが過去には「別に強くない人」と思った人に対しても、どんどん膨らんでくる。

 振り返ることなく結果だけを見れば、そりゃ強い奴が強いカード持っているんだから勝って当たり前とか、コスパとか確率とか数学使ってんだから答えが必定なのも当たり前と言う人もいるとは思うが、その当たり前を当たり前足らしめる論理の数々はまあ過去の自分の不勉強で消化し切れていなかった部分もあり、それを当たり前だと言わしめたことが自信につながっている。

 それでどうしてもこのレシピに入っている神話レア「数多のラフィーク」のラフィークの意味が分からずググると「(アラビア語で)親しい仲間」ということで、多言語対応は完了してなるほどなと。まあ親しい仲間は最近会わなくとも心の中にずっといる。

 MTGを無駄遣いとして、古いカードを処分する時に飲んだ仲間からは「まだまだ得られるもの、あると思うよ」と言われたそれが最後の言葉となっている。

 大会に出て、誰かといちいち競って比べるまでもなく、闘争を学べたと思っている。


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