英雄譚だけが残る理由

 なぜ平和な世には英雄はおらず英雄譚のみが残るのか。

 とりあえず名前はミヤザワにしたがミヤザワの大冒険ではなくトルネコの大冒険になるこのゲーム。この写真でクリアの証拠にはなるのかなと。125回。

 証拠充分の判断は難しく、デジタルは証拠にならないという議論はあるわけだが、デジタルが発達して3Dプリンタのようなものも登場して、アナログをもっと高い精度で複製出来たらもっと新しい偽証が出来てしまう、それがもし冤罪に使われたらなどと考えると恐ろしくなるのだが、そこまで兵器が発達すると殺人者が無罪のまま人を殺すためにトリックを使って警察を騙すまでもなく、もっとミステリアスに殺してしまったり戦争に勝ったりするのではないか、とも考えるが、実はそれは暗殺が怖いのではなく冤罪によって犯罪者の誹りを受けて獄中生活をするという事に対する恐怖が謎の兵器による突然死よりも恐ろしく、従ってそれが戦争で二次被害を生む核兵器が糾弾される理由の主たるものではある。殺すことより被爆者として生かされることの恐ろしさよな。

 その意味では俺はこどもの頃は大口を叩くところがあったが、今の性格はどこか恐々と生きていて口はあまり利かない。黙ってモノを作るロシア民話「イワンの馬鹿」みたいな世界は日本の中にも大阪あたりにも本当にあって、金物細工ばかりしている町工場とかがそういう文化圏なのだ。それは郷に入れば郷に従えであって、今は奈良に帰ってきているわけで、古都の噂話や衣装によって階級が分けられることなどは分かっても、人間が何十年という単位で身に付けた所作をそこまで移住のたびに慣れかえることなど出来ないわけで、不器用な人間なんです。

 奈良の人に大阪を分かってもらいたいと思うその大阪は大阪全域では決してなく、俺が工場に出てそれが軍のようであり戦争良くないと言い出しても、今使っているこのパソコンも工場で作られたもので、それは奈良の人からしたら「下賤のものに作らせればよいもの」で、さらに高いスペックのものの自慢の仕合にすり替わるのだ。

 じゃあ大阪の人に奈良を分かってもらえるかというと、それは口で言わずモノを作る文化であるわけで、言葉では分かってもらえないかも知れない。だからこうしてタイピングで活字にして送り続けているのだ。ただ、読めるかどうかは今も謎ではある。

 多くの人と交流すると、それだけ色々な齟齬がある気がする。対して、工場は軍隊であり口々に言わずモノ作りに励むなら統率は取れているだろう。しかし、誰だってその人生に嫌気は差しており、奈良の人からしたら都暮らしから工場勤めに変わることは投獄とほぼ同義なのだ。だから自分の身にそれがかからないように弁論に夢中で、社会が進化するとというか、警察や検察が変わって冤罪が無くなっても、それは冤罪と戦った弁護士が獄中ではなく市中で弁論に身を捧げたから成された一介の平和であるだけで、俺は俺で工場で働く道を「病気」と言う衝立一枚で逃れている。

 まあ広いネットにその事を言うと、方々からバッシングはあるようにも思えるが、辛くなるだけどSNSは辞めて、昨日なんかは眼科に行ったら2500円かかった。病気で休みって休んでいて医療費が要ってそのカネはどこから出ているって保険が出ていて、それでも何とかなるのは親のお陰もあって。

 そんな人が昔に英雄だったとか言われても、自分で書いてて信じてもらえないの当たり前だって分かったから、今日はここまでとします。


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