象徴天皇

 まあ俺が家の金なりバイトの金なりでゲームしてゲームブログを書いている馬鹿ならそれはそれで象徴天皇の歌会のようなもので放っておけばよいという事なのだが。

 こと20代には親父が酒に酔った勢いで言い渡した勘当をホントにやってやろうと大阪のマンションに移り住んで、そのときの保証人は母親だったので他所からは「お母さんにマンション買ってもらった」と思われがちであったが、働いて家賃を入れていた。

 「なんでそんな金持ちが家賃払って働かなあかんねん、信じられん」という意見もあろうかとは思うが、俺はいじめられっ子だったので完全に共産シンパであり、右の象徴である自覚は無く、左について宮家である俺自身が率先して働けばカリスマ性を獲得して国は治まるというような王族なのか市民なのか良く分からない思想を持っていた。

 しかしまあ「してみる」程度の自活は最初は体験学習みたいで面白かったが、俺が社会から常識外れとしてまたのけ者にされ、会社社会を三年で追い出され家賃が払えなくなり会社からは徒歩五分のマンションから通勤するなんて金持ちで楽すぎるように見られるという理由で大阪のマンションから兵庫まで通うように言い渡されたりで、辛くなって病気になり浮浪者になり命からがら親父の今の家に帰って来たのだ。独りで自立するのは無理だったのだ。三年は人生の中では一瞬であり、自立と言っても立ってすぐこけたのだ。

 それから地元で仕事を探したり大阪まで通ったり親に甘えたりしながら、今では46歳になるのですっ飛ばした三十代が最近でももう40代も後半である。それでまあ、GBAトルネコ3を遊んで負けまくりながら、クリアが勝ちでそれ以外は負けという考えから、例えば7階で負けたとしてもそれまでスライムやらイタズラモグラに「ももんじゃ」など多数のモンスターを倒していて、それでレベルが上がったファンファーレはそれなりに楽しく、人の人生を成した仕事で考えるのではなく40歳まで生きたら365日x40年x3食のメシは食っており、それぞれ旨いとかマズいがあるわけで、その味のひとつひとつだって人生の意味ではないかと考えるようになった。

 それでも将棋指しという人生があるように俺の余生を死ぬまでトルネコ3にしたら何年か後には解いているかもしれないが、発売20年以上で今なお攻略法が話題になるようなゲーム、負けは負けで置いておいてたまにすることにしてとりあえず勉強に戻る。

 第一次大戦のドイツ側の同盟とイギリスとロシアの連合を考えたとき、高校の時バカだから分からなかったけど、この頃には通信が発達していて、帝国同士が遠方でつながってドイツを挟み撃ちにしたわけだ。はさみうちというと遊戯王にそういう名前のめっちゃ弱いカードがあるので、奈良の三条で「はさみうちは弱いんちゃうか?手損になるしー」とか言っていると、周りで聞いてた婆さんが「挟み撃ちが弱いやと?」「モンスター二体とカード1枚の3枚で相手のモンスター1体倒すだけなんだから3:1で弱いやろ」みたいな話をしていたのだが、現実問題として挟み撃ちにしたら挟んでいる両方のモンスターが破壊されるってカードのルールがおかしいだけで、トルネコ3でも通路でモンスターに挟み撃ちされるとトルネコは死ぬよな、みたいなことから歴史の挟み撃ちが段々とリアルに恐ろしく感じられてきたのである。

 まあ、はさみうちは軍部の戦略として俺は相変わらず象徴天皇のような生活ではなく病人として引きこもり生活なのだが、トルネコ独りでは挟み撃ちは出来ないし、ポポロの方がマシかなとか、戦国無双とかファミコンウォーズのような戦争ゲームは強いのになぁ、とか思っていたのであるが、宮家の嫡男として河内家や山本家から挟まれており、母の実家の滋賀県の方が仲が良かったり、そういうことを考えてあらためて地図帳を読んで大和郡山から電車で行ける東大阪に知っている行った事がある以外にどんな所があるのだろうと思い始めたのである。

 まあ公益性を謳ってブログを公開しているが、手帳とか勉強ノートとか歌詞ノートなどは秘匿していて、それは俺にも赤裸々にブログを書いていても隠したいことのひとつやふたつはあるからだし、それに自覚なく犯罪に抵触していることもあろうかと振り返る。

 だからやっぱりゲームブログが当たり障りないのだろうなと最初に戻るわけだが、そのゲームとて商業である以上は損得を賭けた敵味方が出来るわけで、まだ人生半分は切ってるかもだけどもうちょっとあるわけで、トルネコ3解けたとしてそれとメシの味で終わっちまうのはどうよ?とは思っている。荷が重すぎる気がして。あるいはそれが誰かの人生を賭けたゲームクリエイションの受け皿としての人生なのかもなと故人である「すぎやまこういち」先生の音楽はやっぱ素晴らしいと思ったりもするのだけど。


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