遊戯王DSを思う存分に遊ぶ

 メンコ遊びとしての当てもんカードゲームは絵がカッコ良くて数字のデカいのが当たり。それをゲームのルールを知ることで当たった時に「嬉しい」と思ったカードがゲームで活躍しないためにガッカリして捨てたり交換したりすると、それは初心を忘れているんだと思う。

 確かにレベル4ルール下では1600の方が実用的かもしれんが「牛魔王」とか「ジャッジマン」って初期パック発売時点では当たりだったと思うのよね。それを考えるとレベル4ルール下で別次元の当たりカードとなった「ランプの魔人ラ・ジーン」で勝って嬉しいなら、もう少し弱めて友達レベルのエンカウント戦でレベル5カードで勝つだけでも面白い。

 俺にとっても「復讐のソードストーカー」と「カードを狩る死神」という闇の大物カードが当たり感として嬉しく、レベル4ルールでは若干使いにくいけど、それで遊んでも勝てるレベルならそういう遊び方にも楽しみはある。

 思えばストIIにしても練習して覚えて十分勝ててから、遊びとしてコンボや立ちスクリューで発展して面白くなったし、MTGも全カードでの対戦に辟易してからパックを皆で開けてその場で遊ぶブースタードラフトに発展して、それにお金がかかるから擬似的にドラフトを楽しもうと種々の遊び方に発展した。

 それなら遊戯王も「トラップマスター」をどう上手く使うか、みたいな遊び方の方がたぶん面白い。ガチでやり合うのと遊びは分けて考えて、相手が弱いカードなのに強いカードでぶちのめして満足かというと、俺の趣味的に弱いものいじめには飽きてないので満足感はあるんだけど、それを飽きるまで放っておいたら、その後は効果モンスターなどで楽しむ遊び方も待っている。

 もちろん、突発的にそう思ったのではなく「ドリームピエロ」や「マーダーサーカス」で余裕を見せても罠や魔法を上手く組み合わせれば十分勝てるから、それで気を良くしたのもある。そして、さらに言うと攻撃力重視の編成に「突撃」や「鎖付きブーメラン」という戦法では相手が「融合」で攻撃力の高いモンスターを召喚した時にパワーゲームを展開して潰し合いになるので、そこはもうちょっとテクニカルに鮮やかに勝てるようになるのも悪くはないかなと。

 本当にそんな遊戯王があるかというところで「ある」に投票するためにやりこむ。ギミックが複雑な方が思考ゲームとしては面白い。そこはメンコみたいに単純だからとっつきやすいってのとは相反関係になる。

 ゲームのルールを分かるものなら誰しも納得の「使いやすい」「強い」カードではなく「使いにくい」けど「強い」カードを上手く使ってライバルに差をつけたい。その差はもしかしたら短軸評価ではマイナスかもしれんが「世界にひとつだけの花」みたいな弱い世界観で。

 ゲームクリエイターとしてゲームをルール通りに遊んで勝ち負けを競うことを否定するのは考えものだが、それでも絵がカッコ良くて数字が大きいのを複雑なルールで負かしてゴミ扱いするというトレカ業界の風潮に流されてきたのはそれはそれで間違いだったと思うんだ。

 もちろん、ルールを守りあった上での競技の行く末を知りたいというのも願いのひとつだった。それがパワーゲームにしかならないというのは寂しい話で、せめて夢が見たい。その夢の源泉はカードに描かれたかっこよくて数字のデカいモンスターなのだから。

 

 遊び心を入れたデッキだがビギナーズカップを全勝優勝した。

 城之内戦はギリギリだった。考えてみると、ニードルウォールを永続罠発動してサイクロンとかで邪魔できなければサイコロ全当たりだけでゲームが終わる可能性もある。もちろん、デッキがモンスター24魔法8罠8で11ターン目までモンスター引かないとかの確率も考えると運ゲーなのは仕方ないので、サイコロ3連続ヒットくらいはめげずにゲームだからと受け入れるべきなのかもだが。そのアドバンテージの差を取り返す要素が乏しい気はするよな。

 そうこうしているうちにコンピュータ将棋大会が決勝の終盤戦まで進んでいる様子。俺はストZERO3の全国大会の途中で脇の台でヴァンパイアセイヴァーを遊んでいて怒られた経験のあるやつなのだ。そんな自慢していないで今からでも協調性を大事にして観戦だな。

 「運ゲーがイヤ」なら「将棋やれ」って話で将棋で負けを認められるなら、運のある方が上手に勝ち目があって楽しめることも学んだわけだが。だから遊戯王も楽しめる。運を可能な限り排除しようとするのではなく、運を受け入れて勝てる可能性のあるカードを選択肢に含めることで広がりができる。それが俺なりの結論というか、結論を出すに至る前の指針なのだから、それで遊んで楽しくなって満足したというのが結論だろう。人生はまだ続く。


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