今日のトルネコ3アドバンス(まずは新界の試練から)

日曜日はいつもカレーなのだが親父が姉の家族に誘われてスシローに行って土産のお寿司を夕食とした。6時頃から7時頃が普段の夕食の時間で昨晩は9時頃になったので今日は目覚めが遅く体の調子も何かが違う。

トルネコの大冒険3アドバンスを手軽に楽しめるエクストラモードで遊んでいる。進め方に於いて、どうも階が進んで長丁場になってくると疲れてやめたくなり「自殺」に近い死に方をしているようだ。これは俺の心因分析なので他人の役に立つ攻略になるかどうかは分からないが、嫌になってくる前に階段で中断して、そこで毎日運試しのように異世界に最初から挑むのではなく、1階づつ運試しであって、中断から集中して1階進めてその階で取るべき行動はもうなにもないと判断してから降りる。

この繰り返しで17階まで昨日は進んだ。

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しかしシレンで言う「一時しのぎの杖」トルネコではバシルーラか、はたまた違う名前があるか未識別だが階段に飛ばした「つのうしがい」を体力の減った状態で攻撃して起こして死んでしまった。ミスとも言えるが、なんとなく自殺に近い。ボタンを押す時に張り詰めた緊張で最善手を考えるのでなく「楽になりたい」「もういいや」という気持ちが混ざっている。

これは格闘ゲームでも何度も感じて強くなるために矯正してきた感情だ。どちらかというと辛い練習を重ねて勝つよりも負けるほうが心理的ラクで、連勝が止まる時も「こんなに勝っている自分はなにか自分じゃない」みたいな「上手く行き過ぎの心配」から負ける。

かなりどうでもいい芸だが、ボールペン回しでも連続で上手くいくよりポロッと落として笑われる方が周りが和んで安心感がある。何につけても自分が恥をかいて周りが笑う笑点の山田くんみたいなキャラが自分の中に潜んでいて、しかしどこかでそのセルフイメージを変えたいと思っているのだが、そのために他人の前で良いところを見せると嫉妬をあらわにして憎まれる恐怖などとも戦ってきた。その意味で、クイズなどで正解を取るのもゲームで勝つのもそれで最後ケンカになったらケンカに勝つ物理攻撃力を備えていないと良い役は取れない。

これは俺の持論だが、アメリカ人が優しいのも銃の所持が認められていてムカつかれたら殺されるかも知れないから優しいみたいな優しさの出来上がり方ではないかと思う。

ストリートファイターIIのゲーセン台というのは2台が通信で繋がっていて、1台でひとりで遊んでいる人に対になった台で誰かがゲームを始めると2台のプレイヤーが継続ゲームの権利を賭けて殺し合いの勝負になる。つまり100円玉の取り合いだ。その頃は俺は中学生くらいで、不良やドカチン相手に「勝っても殴られたりしない世の中」ということでゲームの中でどこまでも狡猾な戦略を取った。絡まれたが、殴られたりお金をせびられたりというよりはガタイのいい兄ちゃんに「こういうルールで」と迫られて、それを飲んだのはケンカに弱いからだ。

ケンカには弱かったが、ルールを飲んでも尚、勝つのでそれで一定の評価はされた。しかし評価してくれるのは手合わせで納得した人だけで、不服というか腹に何かをためている人もいて、人間関係は悪化した。

後に俺はゲーセンでバイトをするようになり、自分のシフト番が終わると自腹でゲームを遊んだ。そうなると、多少負けても差し引きでお金が入ってきて、自分の当番では店でお客さんがしているゲームを見れたので、あの頃がいちばん人生で儲かっていたようにも思う。ゲームクリエイターになるよりしたいことが出来ていたと言うか。だいたい、ゲーム会社でもプログラマーやデザイナーよりデバッグと言う名目でのバイトの試遊がいちばん得なのだ。

だが、当時の俺にはそれは分からなかった。作れるようになった人はもっと楽しさの秘密を知っているという想定で、知的好奇心と呼ぶよりは偶像崇拝のようにプログラマーを信仰していた。
いつからだろうか、自分がなりたいと思う格好になるたび、何か思っていたものと違って人生がどんどん行き詰まってつまらないもののように思えていた。

それが変わったのはお金を貯めるようになってからだ。会社員として消費は美徳と有り金を使うより、家の建て替えを目標に計画的に貯金するとドラクエでレベルが上ってゴールドが増えるようにただただ生きているのが楽しい。

あとは読書の再開だ。今の俺のお小遣いの使いみちと言えばだいたい古本だ。情報処理技術者として、データの量で情報を計ると動画と音楽とゲームソフトなどが大容量だ。大きいことはいいことだと同じ買うなら本よりDVDやゲームソフトという価値観から、ゲーム1本で古本が何冊買えてそれを読むのにどれくらい時間がかかるか。またはCD-Rなどに文字情報を詰めたらゲームシナリオの何倍入ってそれを消費するのにどれくらいかかるかなどと比較していくと、現代社会では消費のためのデータ量増大傾向にあって、動画と言ってもテレビなら4K垂れ流しなのである。

しかしテレビがいくら面白くても24時間つけっぱなしでも自分に入ってくる情報のほとんどは人の顔なのである。

そういう意味では良書と出会って文字で読むほうが、読了後の満足度や幸福度が高い。これはともすると子供の頃に勉強を親に褒められたことから来る幸福回路なのかもしれないが、自分がそれで幸福になれるなら自慰行為と一緒で気持ちいいからやっちゃえばいい。

そう、俺は本を読むと幸せになれるのだ。対してテレビゲームの中でもゲーセンの対戦格闘モノにハマったのはゲーセンで相手がいて顔が見られるからだ。ひとりでの自室での格闘ゲームは辛かった。辛いがゆえに「幸福は溜め込んだ辛抱に比例する」みたな謎の論理で辛いと思っても根性で当たっていた部分がある。そうでなく、幸福になれることをすればいい。

思えば最初に入った会社でのプログラミングはデバッグも含めて幸福だった。会社のシステムがどんどん良くなるのは明るい未来を想像した。だが、プログラマーの業界が派遣で回っていて、やがて自動化されるシステムを権益を保有している法人の所在地を回って工賃と言い換えても差し障りない給料で渡り歩いて作って回るという労働形態ではいつまでもシステムが自分のものにならない。

だから自宅で将棋や麻雀を自作してネットで寄付を募る今の形式に仕事を変えたのだが、最初のうちは給料より取り分が減ったのにストレスからの浪費癖が治らず苦労した。

それが今は財布の紐をしっかり締めて、古本を積んで部屋でテレビを見たりゲームをしたり本を読んだりブログを書いたりで、ずっと自分の部屋に情報を蓄えて、蓄えた情報を自分の中にインプットしていくという段階に入っている。

最初のうちはそれがいつか大きなお金になるというのがモチベーションだったが、案外小さなお金でも生活が回り、自分のしたいことに対する必要予算も目減りして、まあまあ満足なサイクルに入っているのだ。

ちょうど小学校の頃、家でこんな感じだったなとエピクロス的な小さな快楽に気付いた。

まあ、今日もトルネコは6階まで潜ったところで中断して、晩飯は1日繰り下げてカレー。貯金の目標を少し変えて、何かにお金を使おうか、それを想像で楽しむのがまた楽しいのだ。

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