今日のトルネコの大冒険3アドバンス(調子はカナリイイ)

「乱読せよ」は作詞家・阿久悠さんの言葉。「本は十冊同時読め」は確かマイクロソフト日本法人の成毛さんの言葉。だけど俺が読んでためになった本との出会いは後輩が「本棚をすごく見せるためブックオフで古本を100円で買ってきてそれを揃えた部屋に人を招くと効果がある」みたいな話をしていたので「じゃあ俺が読んでやるから貸してくれ」と10冊まとめて借りて読んだ森博嗣のシリーズ最終巻に芸風である哲学書の引用が気になったので原典をたどって辿り着いた。

ゲームも10本同時やる俺だが、まあ答えのあるゲームをこなしていく達成感と、コンピュータの使いみちとして順当に計算に使ってアニメとかで快楽を得ようとする考え方、ゲームをしてコンピュータ相手に考えさせられてその結果として自己の成長を喜べるか、ドラクエ的にキャラのレベルアップによるデータの増幅がそれ即ち快楽であるという考え方とコンピュータを対戦相手として対戦型ゲームを練習して、対人に於いて勝利を修めることを目的とする。タブレットで勉強して試験に勝つとかもそのたぐいで、試験のときにスマホ使ってカンニングするのとは対立軸となる。

その点でキャラがレベルアップして繰り返すほど自分も賢くなるローグライクの和製スタンダードであるトルネコの大冒険3アドバンスは文句のつけようが無いのだが、異世界の迷宮というおまけダンジョンはそもそもが解けるように作ってあるのかと言うと、テストプレイではなくダンジョンの構成を階毎にエクセルで期待値計算して「計算上はクリアできる」というギリギリのラインを狙って作られたものらしい。

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そして今回は「せいぎのそろばん」を合成の壺でデーモンバスターとドールクラッシャーとおおきづちで補正値+3とかなりノッているのだけど、これもうスクショに収めて辞めてしまいたい気分ではあるな。

俺は本を買うだけで読まないのはバカのすることだと思っていたこともあるが、それは家族関係に於いて家に居場所を無くされてゲーセンでたむろっていて、親が学校の通信簿以外に俺に対する評価軸がなかったから試験を基準のように思っていたけど、母親が出ていってから親父の評価軸は家にどれだけカネを入れたかで、家にどんどん入れるなら現金でなく買ったモノでも良いという考え方なわけで、家にずっと居ていいなら本も買って置いておけば「いつか読もう」が部屋で退屈した時に無駄な外出で交通費や外食費による資金流出の阻止要因になる。

叔母さんなどは図書館で本を借りて、読んでいるのかいないのかトイレにも本棚を作って本を置いているが、あれは俺もやったが不衛生だと思って辞めた。

そう考えていくと、本棚に本を並べて人に見せるというのは威圧なわけで、ゲームで勝ってみせるのも将棋指しならどこかで究極的にお金がもらえて生計が立つからってのを除けば、大抵の人にとってご機嫌取りのお接待か、そうでなければマウントの取り合いかもしれない。純粋に面白くてのめり込んで強くなるというサイクルにハマっていれば健全かと言うと、そこまでのめり込むと反対にやや不健全かもな。それで勝つというのがゲームの枠の中での勝ち筋の発見みたいな意味を持つなら、それは感想戦とか参加者同士での議論という風にややくどくなるが人間関係での優位の取り合いなわけで、本棚くらいでビビってもらえるならそうするのも分かるようになった。

なら図書館の本棚の前で写真を撮って自画像としてネットに上げるか、クロマキー合成とかフォトショップ加工で自分の背景を本棚にしといたほうが良いのかもだが、俺のブログとて読んでもらえたら読者に得るものがあるように書いていきたいのだが、暇だから書いておいて貯まったのを見た人がびっくりする、程度の効果しか無く、びっくりした後の感想も「何のために?」と思われるのかもな。

んでトルネコの大冒険の話は何だったけか、ひとつのソフトを遊びこんだという自慢話をしたいならランダム性のあるモノのほうが飽きが来にくく適切なのだろうな。タブレットで勉強とスマホカンニングは対立軸になると書いたが、俺も実は旧貴族として大枚を叩いてゲームという高いものを買い上げるという正義と、節約してモノを大事に長く使うという正義なら、ギリギリすれ違いは起こらず良いものを高く買って長く使えば良いのだが、セコくなるのが政治的な左右での左の在り方なら、自分はどちらに舵を取るべきか今一度考えなくてはな。

今どきの世の中情報を秘匿して利を得るような有意な秘密など貴族は持ち合わせておらず、経済的強者である企業の時代であろう。政治家も投票で決まる。カネでありがたがられるのも貧乏相手だけの話で、市民も生活に充分で余暇も楽しめるカネくらい持っているものだろう。

なら、数あるゲームソフトから面白いものを秘匿するというのはどうか。ここにも隠すと教えてあげるで対立軸はあるよな。人が少ないほうがコソコソ楽しめるという考え方と、参加者が増えて活況になるほどヒートアップして観戦が面白いみたいな軸がある。

俺が不用心なのは隠さなくて流行ってもそれでも勝てる側に入れるだろうという自信と驕りがあるからで、隠しておいてほしいというのは弱気で嫌な感じがする。弱いからこその知恵というやつは強者を目指す者にとっても同じベクトルの向きでその強さを強めてくれるものなのかどうかというところを今後は見極めていきたい。


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