今日のトルネコ3(異世界127回目)

 125回目から126回目にかけては「よし!@10倍で1000回や!」と意気込んだのですが・・・。

 この時点で大きなパンとしあわせの種を余し、降りてからレベルアップを図ってしあわせのたねもそれから飲もうと思っていたら7階にておばけヒトデに殴り殺された。

 楽しかった。ただ、死んだときにその悲しみを共有できず、ネットで言うと「下手くそ」みたいな言葉が目に飛び込んで真に受けて辛くなるだけで、実はその「下手くそ」は自分より上手いヤツからではなく、ただ負けて凹んでいる辛そうなやつに対する追い打ちを面白がっているだけではないかな?とか、エーテルデビルのようなものだと思った。それはネットだからというわけではなく、ゲーセンとかでも「オマエヘタかよw」とかなじってくる相手いたんだけど、ゲーセンと言うとコリアンか不良が基本なので、ゲームを同じものを持っていて感想を共有できるとか思うとそれも多分間違っていて、朝鮮学校とか工業高校とかの校風とかも全然知らないわけだし、正直分からない。

 だからまあ、そんなところと話を持ち掛けるのにそこに置かれているストIIの台の話なら疎通性はあるのかもだけど、それもストII流行期に学生同士での話としてゲーメストがあったからで、ストIII3rdくらいになると「ブロッキング」が通じればまあ良く、SAに関しては「SA1-真空波動拳」とか画面に書かれていたから通じるわけで、エレナならライノホーンは出すと「ライノホーン!」って叫ぶから分かるけどマレットスマッシュが一体どれほどの人に通じるとか、そんなの考えずに楽しくしゃべってた。

 そこへ「トルネコ異世界解けへんねーん!」みたいに行ったらそりゃ「下手かよ」になるのも持っていない相手としての受け答えとしては当然わかるわけでそこに「えっ?お前解けんの?」とかいうと「まあ楽勝やね」みたいなハッタリを返すのも道理なわけで。

 このへん俺の読書量はまあ人並みよりは多いが知識人と言うには少なく、子供向けの童話や文学からコンピュータ書籍に行って、その間に文系の後輩が買ったけど読まずに飾ってある森博嗣10巻セットを借りて読んだのがかなり人格に影響して、理系の大学関係者同士の歪な人間関係にどこか憧れを抱きつつも現実には年上男性ばかりのコンピュータ業界で仲の良い人も少なく、定時後にゲーセンで昔からの遊び仲間と相変わらずつるもうとしたけどスーツ着てネクタイして給料をもらっている俺には「おごってくれ」か「カネ貸して」しか用事は無かったような錯覚をする。まあ言うやつがいただけで皆は自分の金でひとりでゲームしていただけで、深入り無用だったのだとは思う。

 まあそんで森博嗣ミステリィでもとりわけ殺人トリックに目が行く人は「怖い」という感想を持つ人もいるようで、しかし元々何歳向けか考えると20代で読む本かどうかは疑わしくやがて離れた。

 ただまあ、不良と言うと学校の勉強は置いてもオシャレの勉強はしていてアメリカンカジュアルを「アメカジ」と略して、人の服を見てジャンルに識別するような能力があり、しかしそのオシャレをオシャレだと思うのは仲間同士だけで、フォーマルにはフォーマルの良さがあり、スーツにネクタイをオシャレだと思う人がいることも脱いでから分かった。

 まあそれはそれで治ったと思っていた腰痛が再発して、腰痛に気を付けると次は坐骨神経痛と言う年寄りコンボも既に経験済みで、さらに結膜炎で目薬をもらって治ったら露骨に視力の低下を感じている。かがんでトルネコしていたら腰が痛くなって目も悪くなったと言うほうが簡単だ。

 ゲーセンでゲームをしていたら100円玉をジャラジャラ使うのでカネが貯まらないというのも当たり前の話だし、それがパチスロになったのもトルネコのハッタリが見破れなかったように世間では負けるのが当たり前と思われているパチスロもゲーマーの中では上手くなると儲かるという噂が当たり前で、本当にパチスロで儲けていたのかは定かではないが、パチスロ屋に出入りして遊ぶ金も持っていたという時期はあった。それをあらためてやろうとしたことが最初にパチスロ店に入る動機だったのだ。

 しかしまあ、そんな風に利害が絡むと持っていない者からは取れないのも道理なわけで。だまされた時に被害者となって相談を持ち掛けても「そりゃミヤーンはカネがあるからやで、俺ら騙されようにも元々そんなカネなんて持ってないからなあ」と言う話であって、ゲーセンと言うとコリアンか不良かという所に金持ちのボンちゃんが入って、一緒に立ち食いそば屋に入ったり牛丼食ったり底は思ったほど底ではなく、カネモの家でメシが親から出ないとカップラーメンだが、浮浪者と労働者の境い目くらいでも立ち食いそばや牛丼を食う小銭は何故か持っていて、ゲーセンで遊ぶ金も数百円はある。

 それでその数百円は使ってしまうと無くなるわけで、定職についても金は使ったらなくなるが、出さないように出さないようにケチケチすると稼ぎが少なくても案外とカネは貯まる。そういうことを心得ている人と結婚できないと、浪費家の尻に敷かれて稼ぎ頭みたいに利用される結婚生活は嫌だなぁ、という想像もモテない事と併せて結婚できない理由を強めている。

 まあ、そんなことより6階で降りる前に大きなパンをひとつ使ってレベル上げしてそれから「しあわせのたね」を飲んでレベル8にして7階に挑むべきだった、次はそうしたいが同じ展開は滅多に二度来ないのがトルネコ異世界で、そのランダムのムラッ気がパチスロみたいなとりあえず回せば展開が変わる面白さでもあるのかなと。

 パチスロを辞めたのは多分賢明になったからではなく遊び倒すカネが惜しくなったからで、カネを使って稼ぐことを考えるよりカネを節約して暮らす方が賢明とされるけどそれは世の中のどこかにある本当に賢い商売のタネを隠すための訓示な気はするな。

 在日コリアンパチスロ店経営者に成り上がっている人もいるらしいからな。ヤンキーもどうやって遊ぶカネ稼いでんだろうな。きっと俺には知らない何かがまだまだあると思うようになった。


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