また異世界の迷宮に挑むこととした

 世の中には色々な考え方がある。人には色々な考え方があるとすることも出来るが、ひとりの人の中にも色々な考え方があるようで、ソフトで考えると色々なプログラムロジック、言い方を変えるとアルゴリズムがあるわけだが、そこに「正しい考え方」というものがあるかと考えたときに事を成すのに必要十分な考え方や、優先順位の決め方、手っ取り早い考え方に間違った考え方というものも含めると、正しい考え方は少なくとも間違ってはいない考え方として自明になったので、ここで書いている途中で検めることになるが、間違った考え方というのは本当にあるのだろうかという事も考えたい。

 その意味でSNSで皆がシレン6を喜んで遊んでいて、自分も買ったら仲間には入れて友達が出来るのかと考えた。実は同じことはモンハンでも友達と梅田ヨドバシの行列に混ざろうよと電話して並んで買ったが遊ぶペースが合わず仲違いの原因になったことを思い出し、その後ネットで遊べるようになりオンライン遊び仲間はめちゃめちゃ増えたがオフラインで孤立し、そしてやがて続編の発売で既知のオフライン遊びグループから仲間外れにされたことなども経験があるのだが、果たして彼らは友達だったのかと考えると、ストIIMTGで出来た遊び仲間で遊ぶのに面子がいるから人数のために動員されており、そして当然街で遊ぶとなると交通費や外食代が発生して、それはそれで交友として当然であるという考え方に立脚しているから、正しいとか間違っているとは言えないが、俺の思う友達像とは合わないし彼らにとってもそうであって離れたのかなと。

 それでも俺が流行りのゲームをコロコロ変えても別に新しいゲームを一緒に遊ぶわけでもなく断っていても、まだ何らか連絡と言うか再開と言うか、オンでもオフでも会える仲間は少しいて、なんか選別するみたいだけど付き合いの長い仲だとは思ってる。

 まあ、それ以上は今は考えないが、共通項として流行り廃りよりしぶとい友達に仲の良い傾向がある気がして、俺もシレン6に買い替えるのではなく誰かがしていたようにトルネコ3をもっとやって深く遊びこんだ事に対する共有体験を持って見たいと思った。今日のプレイでは1階で腕輪の識別に挑戦して、装備してモノを投げたら向きが変わるので正式名称は分からないが「ほうこうかえ」と命名して2階に降りる。

 草は識別のために階段で全て飲んで降りていたが、アイテム数の少ないうちは持ち物に余裕があるのでピンチの時に万が一で当たる可能性のある草を少量残し備える。

 少なくとも不思議のダンジョンに於いて、生き残るべくして最良の考え方までは到達できていないわけだ。ライトに遊んで買い替えることも出来るのはノーマルクリアをボーダーとして「普通」という母集合を考えてお互いそれに属してはみ出ない事を普通の友達としてシンパシーを感じるからだが、変な奴同士もそれはそれで面白いわけで。

 その意味では普通というのは普通の境界線づくりとそれに向かう合意なわけで。そう考えると少年ジャンプのONEPIECEにイマイチ興味がわかない事が俺って普通じゃないのかなって疎外感にもなっていて、俺の普通は俺が普通のやつだからではなく普通から外れたことがいじめの的にならないように普通を探って真似て作った普通なのだ。

 変な奴から本をもらって読んだら変な考え方がうつったのかもだが、その普通じゃない考え方がある意味で普通の学歴に甘んじていてもその範囲でも多様性はあって、すり合わせて合意できる考え方ではあったからだ。まあ疲れてきたので今日はここまで。


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