はい、ラリホーアントー!
129回目もハラモチの指輪に大きなパン4つというスタートで「レベル上げろってか!」と頑張っていたが魔物の壺を割ってしまい死亡。余計なことした。
気を取り直しての130回目は盾がクロムシールドだけで装備したり外したりとギリギリの運用だったが6階くらいで飛び道具が豊富になり快勝街道を進んでいたらラリホーアントに飛び道具の空振りから近寄られてラリホー!4回起きなかった・・・。
だからあれほどSFCのトルネコでは魔導士に近寄るなと。基本を守れず頓死の範疇。まあ、最初のトルネコからシレンにトルネコ2、シレン2、トルネコ3まで遊んで運ゲーって言う?と思ったら、確かにシレンで黄金のコンドルを見たときは達成感あったけどそれも遠い過去でフェイの最終問題をクリアできなかった記憶だけが強くなる。
だけど例えば同じSFCでもソルスティスIIを全く解けなくて、これが平気なのは他の人と話したことが無いから解けてなくても「負けた!」みたいな感じが全然ないからで、トルネコやシレンは何かまで潜れるかの競争をして負けた悔しさが根っこにある。
でもまあ、将棋や麻雀で最強かと言うと負けたままでも我慢できるゲームは幾らでもあるのにドラクエ系は負けたくないみたいなの、ネットゲーのドラクエXを始めたときも相当その念が強かったけど、そうさねしぶとさとか粘り強さとかいつの間にか「欲も飽きずにやれますね」の側に立っているのに、それが子供の頃の「ドラクエ負けない」と完全に自己矛盾しているというか。
あー、悔しいけど負けを認めないといつまでも泥沼なんじゃないかと。これストIIXでもあったんよね。渡米して帰って来てから「えっ?アイツなんかが?」みたいになって、それで国内の強い人とゲームになって、勝ち越し負け越しでいうと負け越しなんだけど2ラウンド先取の単位で「絶対負けない」って人を何人か負かして、それで自信付いてたんだけど、ふらっと入ったゲーセンでガイルでクリアしたらガンダムやってた塾生みたいな子供が台囲んで「すげー」って人集まったところで対戦が始まって、こちらケン相手リュウで20連敗くらいして統合失調症の発作か姉の声で「もうやめときなさいよ」って聞こえて、それからガイルを取って勝って、相手ダルシムに変えて勝ってバルログが入って来て負けて、そこでやめて帰って、いつまでもケンリュウ戦悔いたけど、ダイヤ4:6で1ラウンドは何度も勝ってる、けど3ラウンド先取で何度も惜しくてゲームだから体力とか関係ないと思ってたけど、若い人の方が反射神経とか良いのかなって納得しようとして、何度も何度も悔いた。
それまでリュウケン戦は5:5だと思っている派でリュウを取ることが多かった。けど、実際には6:4で6だから勝てていて、5:5だとすると腕負けか運負けで、さすがに運で20は無いんじゃないって思うけどパチスロそれくらい負けることは経験あるわけで、6:4だからだと思うと自分の腕と相手の腕は釣り合っていてキャラ差で負けたと言えるんだけど、そうするとストIIXは上手くなればキャラ差をまくれる対戦バランスの良いゲームだというプレイの前提が崩れてしまう。このジレンマは辛い。
それからスーファミターボやり直したりもしたけど、もうゲーセンでストII系は1回もやらなくなった。それと同じようにドラクエも付き合い方考え直さなきゃね。
でも負けてからもひとり用のストIIターボをスコアで楽しんだりしたわけで、トルネコも遊んでて楽しいと思うポイントは幾つもあって、普通に遊んでりゃ良いとは思う。
その「普通」ってのが俺が普通だと思っていたところが普通じゃなくて、負けてようっやく普通になったんじゃないかなって今更に思うんだ。勝ってたんだなって。そして負けたんだなって。