ずっとストIIのことを考えていた。
まず歩き昇龍と投げの二択が所謂「完全二択」か考えた。
ストIIには無数の選択肢があるがガード以外には全て昇龍が勝つ。それに対して昇竜はガードすれば大反撃が入るわけで、キャラによっては体力半分を持って行ける。死ぬときさえある。
ならば昇龍と投げで二択をするならハイリスクローリターンの昇竜に対してガードで待てば期待値勝ち出来るとしてガード一択という論理を成立させる。ガード一択の論理が成立すれば投げ一択で勝てる。しかし投げ一択なら投げ返しを試みたりもするので、3回投げて最後に昇竜拳を打つ。そうすると、4回のチャンスを4連続で負けたかのように錯覚するのだが、厳密には最初から最後までの3回のチャンスをガード一択で捨てさせているのだ。
他にはアッパー空キャン昇龍もある。投げを入力したとき相手が投げられない状態になる技を出していたらr大パンチ投げならアッパーが出るが、その出る瞬間の数フレーム以内なら必殺技が出やすくするためにボタンのズレを許容するプログラムが働いて昇竜拳で上書きキャンセルできる。相手の無敵技より昇竜拳の無敵の方が長いキャラなら投げハメの投げを全て空キャン昇龍しておけば無敵技には昇竜拳が出る。
これは理論上は知っていてもなかなかそこまでは出来ないと暗黙的に捨てている。もしそこまでやっていたら、反対に相手がそこまでしていなくてもこちらのリバーサルが果たして完璧なタイミングで打てていたか。泥沼にはまり込む。
他にもメンタルマジックのトリックは幾つもあるが、全て理解習得しているわけではない。いかがわしい魔術がトリックを明かされ種本のカタチになっていても読破できていないという負い目はある。何か良からぬ技にハメられているのではないかと思う。
そうすると近年株高ではあるが、株高は売買益で儲けようとすると儲かりそうだが4万くらいまでだと売買手数料と税金の往復で帳消しとなる。それが10万を超えると儲かり出すのだが、10万あがって5万儲かるのに博打で負けることもあり10万下がっても5万補填されるわけでは無いから、株高で期待値が1.2倍の二割増しほどになっても売ったら負ける。
そして、平均株価の上昇について大企業が株価の安い企業を吸収合併したら、値段が上がって平均株価を算出するための会社数の分母が減るわけで、一極集中となる。お金のある会社の株が上がって、小さいところは無くなる。初期投資として大きいものが勝ってギャンブルとして小さい値段の株を買って上がって大勝ちという風にはシナリオが動かなくなるのだ。
株高でも売らない限り儲からないし、売ってしまったら配当金は入らなくなる。適度な株安の方が本当は利回りが良くなり資産は増やしやすいと俺は考えている。
そんなことに気を取られているうちに、無心でストIIをやっていたのは何が楽しかったか、思い出せるものより今世の中にある楽しいことの方が楽しさで上回っている気がするが、エンタメに払うカネを惜しむケチンボ気質になって楽しいものも楽しめない。
壁に立てかけてあるシンセサイザーは10万円ほどしたが、CD30枚買って聴き比べて評論でもする方が本当は楽しかったのではと悔いる。ギターが弾けて何か変わったか。確かに負い目は無くなった。そしてミュージシャンに対するリスペクトはほとんどなくなった。傲慢にもなった。そして自身が音楽家になったところで売れはしないというような別の負い目を背負うこととなった。
キャラ差が6:4で運七技三とすると42+18:28+12だから技が3倍になったら42+18:28+36で勝てるかもしれないが、コマンドや戦略ではなく駆け引きが運ではなく読み合いの技であるとするとそもそもの運七技三という前提を侵食することとなる。このへんの運と技の論理学にも何かの罠が潜んでいるという嗅覚はある。
そんなことも春が来てあたたかくなったら忘れるだろうとも思っている。花粉症は辛いが桜の季節を快く迎えたいものだと毎年思うのだ。確率論において「運は誰の身にも等しく降り掛かる」という話があるが、俺はそうではなく運と言うのは勝者と敗者を分かつものだと考えるようになった。