感情と論理のバランスの取れた論議を格闘ゲームで

コロナウィルス感染症は中国が原因だと言うと性感染症エイズアメリカ産じゃないの?

こういうのは俺達の世代では真珠湾攻撃と原爆投下で「どちらの責任か」ということが最も重要な論点とされてきた。靖国問題にはそこに祀られているA級戦犯の責任を日本国が一方的に押し付けられているので憲法で戦争を禁じられた国として文句の言い合いで責任だけは押し付けられてはいけないという考え方が根っこにあった。

日本社会のなかでも特にサラリーマン世帯は生活を会社から支払われる給料で賄っていて、社会保障が整備される以前は責任を取るというのは会社を辞めるということで、それは即ち今まで学校で習って会社で覚えてきた仕事で食えなくなることを意味し、辞めてみたら生きていく道はあるのかもだが学校出て会社で生きてきた人にとってその生活を奪われるというのは恐怖でしか無かった。どうするか考えて想像して計画的に退社できる人など一部だったのだ。

その風潮はサラリーマン二世の夫婦関係や親子関係にも伝播して、とかく日本社会は責任論で動いているし、理不尽に思えても責任を取らされるよりはという否定の感情が根っこにある。それが巷の口論や親子喧嘩や夫婦喧嘩や友達同士の喧嘩でも「責任はどちらにあるか」「責任の由来はそもそも先にそっちがこういうことをして」「だからお前が悪い」と相手に責任を押し付けるために種々の論理が組み立てられている。

ところで、現代社会で責任とは何かと言うと支払いの有限責任である。契約は売買を主軸としていて、買ったものはもう一度お金に戻してはもらえない、ということだ。それがメルカリ、ヤフオクブックオフなどで非常にゆるくなり、責任以上の違法金利などは弁護士さんが解決してくれて、とにかく働いてカネもらってそのカネで自分がいいと思った値段なら買え。替えば自分のものになる。という塩梅である。

そうすると、ことゲーセンでストリートファイターIIをするというのも説明が面倒だが、100円払ってゲームを1回して、勝っても負けても100円損ですよ、というのが自己責任だ。対戦によって負かされたのだから相手に100円損させられたというのは間違いなんです。

まあ、そういう自己責任論まで無事にたどり着くとそれ以上の理屈はないのですが、俺は若い頃にネットに長文を書き込み、その時に高学歴を自慢する人が「全く論理性のない感情論です」と噛み付いて来たんですよね。まあ、今思うとツイッター攻撃のように暇な人に叩かれただけなのですが、こちらもHTMLを覚えてFTPでサーバに長文をアップしたら2ちゃんねるにURLを貼り付けて嫌がるような反論を書かれて、対処の仕方が分からなかったんですよね。

「感情論です!」とか「常識です!」みたいのはディベートで負けた人が使う定型文のようなものですが、感情抜きに活字にすると論理反転してそちらが勝ってこちらが負けたように読めるものです。正論というやつです。

そこで、この定型文には元々どういう意味があるか掘り下げると論理的文章とは「AだからB」であり「腹が立ったから殴った」は確かに「AだからB」の体を踏んでいるのですが、議論とは己の感情を出発点にして「自分には自尊心があり、なじられた、だから腹が立った」この感情に至る「だから」なら、論戦になるんです。

かれこれ22年前で、ログもサーバーや企業の買収でなくなり、もはや「先にやったのはそもそもどっちだったか」というと記憶に頼るのみの部分はありますが「ゲーセンに台があった」「金を入れたら負けた」「そこで店でなく客にケンカを売るやつがいた」「ケンカになった」「先にやったのは相手であるをお題目に執拗にいくらでもやり返し合いが続いた」「今ではそもそもどちらの何がそこまでのエスカレートを招いたか分からない」「現状、俺はゲーセンに行くのを自粛している」「しかし戦いは既に複雑なネットワークを経由して続いている」「俺は俺の自由で辞めたい」「だが世の中には諦めるなというはた迷惑にも思える応援がある」

ここで現代の責任論に戻ると、格闘ゲームの筐体に入れた100円玉はもう返ってこない。お金はみんな損している。論理ということで、ゲーム理論からストIIの仕様やルールから洗い直したが、デジタルと論理性の問題に転化され置いてきぼりにされた感情。それは、ゲーセンでケンカがあって面と向かって言うと暴力事件に発展しかねないから臆病にネットを介して活字で交信したのだが、それを「感情論で論理的でない」と排されてしまった時点で感情が行き場を失った。

俺はその後に暴力事件を起こして警察を呼ばれて留置され、相手は告訴しないで謝罪で済んだのだが、今でもどうして俺のほうが謝らないといけない結果になったのか分からない部分がある。それは俺が殴った相手がケンカを売ってきた相手そのものではなくネットで論戦が激化して住所を調べて家の近所に風の悪い人間がたくさん寄ってきて部屋にこもり外から暴言を受けて辛坊たまりかねてそのうちのひとりに拳を上げたという話で、小学校の時に殴り合いのケンカをして教師に「殴ってはいけない」と言われてから30年以上殴り合いとか掴み合いには非暴力不服従で対抗してきた俺が「殴りはしないが挑発する」「殴ったほうが悪い、つまり殴ったほうが責任を取る」という単純な論理で生きてきたからで、暴行罪が殺人未遂にならなければ軽微な犯罪であることと比べると、正しくは法定で争うべきことでも私刑としてもっと悪いことをしたやつを殴って許す。これは食い逃げや痴漢を殴ったら正当防衛でなく暴力になるので都度警察を呼ばなければならないみたいな問題に近い。

これだけ言って今更だけど、俺は格闘ゲームが好きだとか趣味だとか言ってるけど、本音でいうと腹の立ったやつを殴りたくて、しかし暴力は犯罪だからゲームで殴って100円取って懲らしめてやった気分になっていたってことなんですよね。

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