マンガ、スポーツ、勉強、ゲーム

 マンガ「ドラゴン桜」にはモデルとなった人がいるらしく、そこを疑ってしまうとキリが無くなるんだけど、信じたとしてレアケースであるわけで。ドラゴンボールで悟空がかめはめ波打ったりアラレちゃんがパンチで地球を割ったりするマンガの延長で偏差値35が東大に行くって話であって、だから面白く現実的に考えても中学か高校の入試の段階で偏差値が35だったとしても東大に合格する際には偏差値70くらいまで上がっているはずで、高三になって模試を受けて偏差値35になってからドラゴン桜を読んでも手遅れで、やはりマンガは子供向けであり夢を持たせるものかと。

 んでその夢って何かというと強くなりたいとか立派になりたいであって、社会が退廃的になりすぎると治安も悪くなり生活が苦しくなるので、病気の予防接種のワクチンのように子供に頑張り続ければ夢は叶うみたいな物語を読ませておいて頑張らせる、これ創価学会が勤行をすれば願いは叶うと言ってお経を読ませるのとどれくらい違うのかというと、俺は創価大嫌いだけど一生懸命やってる奴見たらちょっと手伝ってやろうかみたく思う気持ちを持っていたこともあって、それ完全にジャンプマンガの影響だよな。一生懸命やってる奴を見たら競争社会だから自分はそこまで頑張れなくて足引っ張ってやろうとする奴があらわれたりするって方が聖書的で現実的かもしれない。

 んでスポーツ頑張って何になるかというと、まあ体力はついてためになるんだろうが、大半は負けでプロに上がれた奴だって競技場で観客を前にショーアップされた試合を見せるわけでかつては奴隷がしていた剣闘士を現代的に球技でプロがするわけで、まあ囚人というわけでもなく給料も高いのかもだが、少なくとも引退までトレーニングや客寄せに人気取りはしなくちゃならんし、それを見る市民も必要最小限の労働以上にチケット代を取るための金策は必要になって来て経済が回る。

 なんなら、それを勉強に置き換えているドラゴン桜って何が狙いなんだろうって、同じ本なら勉強の本を近い値段で買えるわけだけど、なんでマンガ雑誌に普通の子供がつまらんがる学校や勉強を題材にしたものが選ばれるのかって、俺「涼宮ハルヒ」とかも最初は何が面白いのか分からんかったけど、無人島でのサバイバルより涼宮ハルヒとか「かぐや様は告らせたい」とか学校が舞台の方が今のリアルなのだろうか。そうよな。

 んで、話を剣闘士に戻すと競技場の真ん中で試合して周りで応援するこの落としどころがプロスポーツの通例で、昨今のeスポーツとかもそうなんだけど、同じ競技場の面積で皆がバレーボールするなら体育館でもコートふたつ作って4チームで練習とか俺の高校ではそうだったけど、競技場の面積いっぱいにコートをたくさん用意してみんなバレーやバスケとならないのは、やっぱり頑張るシナリオを読んでもしんどいからスポーツは頑張る人にやらせて周りは応援観戦てのが落としどころなのだよな。

 けど俺、少なくともゲーム大会で国技館行った時も参加者だったし、闘劇は予選で負けて本戦見に行った時は「出たいなー」と思ったものだし、それはスポーツみたいな要素もあるにはあるけど、ゲームってボタン押すだけの簡単なものであってプロ野試合とか見ても自分には出来ないとか頑張るのしんどいとはその時には思わなくて、日本人は奥ゆかしくて言わないけど、海外とかだと体育館バスケみたく実況付きの大画面試合を見せられるよりもっと台置いてみんなでゲームしたいよって意見はあったんだ。

 そういう風に考えて行くと、俺のこのブログ作業も何となく座学で本読むtころから勉強を出発しているから書き手になりたいというだけで、映画のグラミー賞と作家の直木賞の授賞式をテレビで舞台だけ見ると子供の頃は何でも表彰される人はすごく見えたけど、客席の広さとかまで考えると直木賞とかしめやかなものよね。将棋もそう。そりゃ周りが見えるやつは芸能界とか映画とかになってくる。

 勉強したら得なんだったら、出版社も勉強隠してスポーツさせとけみたいなマンガ描いて子供に読ませるんだけど、そのマンガで勉強が題材ってもう受験が何かの罠であることの輪郭が見えて来ているんじゃないかと思ってしまいますよね。東大偉いと思う受かったら凄いと思う。けど東大卒業生の未来って何だ?近眼的にゴールを設定しないと騙しきれなくなっただけなんじゃないか?その意味では医龍とかのが分かるが。

 まあ、出口を出てしまった冴えないゲームクリエイターからは以上です。

 


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