ここ3~4日は思考の整理がだいぶ進んだ。そして良く寝た。精神病とか心の疲れにはぼーっとして休むのが良いと知りながら、3年間スケジュール帳を付けて日々何かしようとしていた。過ぎたことではあるが、大学受験の悔いである。
怖かった。高校がメチャ偏差値の高い進学校で、それゆえ頭が良いとされてチヤホヤされていたのに、良い大学に進めず、偏差値の低い専門学校に進んだことを親は周囲に隠していた。そして専門学校の授業では満足できず、いつの間にか就職して、仕事にも物足りず、持て余していた。結局高校の頃のあの難し勉強は何だったんだろうと振り返る。
あと遅まきではあったが、PS2のペルソナ3を出来たことも後押しになった。学園モノで、女神転生のスピンオフのような作品である。高校生活をやり直した気分がした。
最近の大学生の情報系が参加する競技プログランに参加してみて、40代のオッサンも一緒に走った(競技プログラムを組んだ)ことで少し仲良くなれたとは思うし、20年勉強したプログラムの分野でやっぱり敵わない相手がいることは清々しかったが、そうではなく世間から受ける差別が苦しかった。専門卒というと、大学に落ちた奴。それも箸にも棒にもかからなかったという印象を持たれる。親に甘えてというレッテルもだ。
だが、俺の頃には大学に情報系学科は無かったし、コンピュータを学びたいとゲーム好きが高じてもファミコンしか無くマイコンでの自習の経験が無く、大学でコンピュータを取り扱う学部というのを探してもらって、それで国公立で東京でとなると、少なくとも職員室では電気通信大学か東京商船大学になるだろう、となったのだが、現実問題として理系の学部に進めば研究でコンピュータを学べるという学校は幾つもあるのだが、情報統制みたいに高校生の受験生に大学でコンピュータを使うことは明かされていなかった。そして合格偏差値で二校を比較して、通り易そうだと判断した商船大のほうに専願で受験に行ったが、あまりの不人気で定員割れで廃校となる年度であった。
だからして、難しい数学の問題を出されて勉強したのに、結局それが何の役に立つのか分からないまま、勉強した学参が家に残り、たまに他校の例題など見るが、根っこから違うタイプの問題は分からず、数学受験だったが数学が何なのかというところは、就職後にもユニオンシステムでUIを主に担当して、構造計算の数式が意味するところは一級建築士の領分であり、数学に対する謎がどんどん深まって、大学を神格化していた。
だが神格というとウチは宮家の子孫である。霊力があるかというと多分無い。目下「光る君へ」が放送中だが、神格とはつまり神輿に担ぐことで醸し出される周りが従って見せることでそこに権力があるように見える芝居の総体であるとすると、宮が平民になって久しく、今は大学が神格を帯びている。それだけのような気がしてくる。
しかし俺は正論論破で大学生の打つ論壇に踏み込み、たくさん負かしてしまった。結局のところ大学も商売であり、国費で賄うか授業料を取るかで、大学の授業や研究それ自体に収益性があるわけではなく、基礎研究は学べるが、それが花開くのはごく一部の研究者でそれも晩年だったりする。もちろん、それ自体は説明しがたいが有意義なのだろう。将来を見込んで、研究職に没頭してもらうために頭を下げる意味は分からなくもないが、ただ出席で単位を取って下駄を履いて卒業するのは専門学校も同じことだ。
少し話が逸れたが、そういう腹に沸々とたまったものを消化して、部屋を片付けなおすと、もう少しモノが入るスペースを確保できた。音楽をするか勉強を続けるか。まあ、ゲーム機にソフトとマンガ雑誌や単行本もあるが。
まあ、勢いに任せて書いたらまた疲れて来て、晩飯なのでここまでとする。