文筆業ってのは結局のところ、読者心理に語り掛けるものであって、ルポライターのようなことをしたいと思っても家からスーパーに行って買い物して帰るってだけで、本当に多くの人がいて色々の事が起こって、それは小説としては自分が主人公で雑踏とかのひとことで片付く無関係者として表現されるものだけど、例えば行き先ですれ違う人とか、歩く速さの関係で追い越してしまう人が避けてくれたら良いけど、後ろから人が寄ってくるのを音で察知してちょっと早足になって抜けなくて、けど抜こうと思ったら抜けるんだけど、早足になっているということはどう言う事だろうと用心して、そうするとその時は前を行く無関係の人だけど、同じ町に多分住んでいて買い物に何度も通うとまた鉢合わせすることもあるかもだけど、俺は覚えてなくても相手は何かで覚えている、特に俺は顔写真も公開しているブロガーだけど、顔写真だけだと似たように見える人が町に増えて来たり、それと鉢合わせてふたり似たようなのがいて周りがこちらを見たり、スーパーだとレジ打ちのお姉さんやおばちゃんが恐らくパートで変わるんだけど長くいる人は覚えたり、覚えた人を見なくなったり、そうして女性が圧倒的に多いというか、女性社会みたいなものがスーパーに出来ていて、そこに買い物に来るのはおばちゃんやおばあさんがほとんどなんだけど、俺が通って見ていると爺さんである無関係のおばあちゃんの多分旦那さんとふたりで来ていて旦那さんの方が俺のことを睨みつけたりしてきて、けど俺としては向こうが何に怒っているか分からないし、すべて鈍感になれば些細なことなんだろうけど、ありとあらゆることは因果で結ばれていて、月並みに言って「事実は小説より奇なり」で不思議だなと思うような毎日なんだけど、ウチにも爺さんになった親父がいて、親父が買い物に行ってくれると部屋でNHKのドラマ見て弁当を買って来てくれて、外で何が起ころうと部屋で執筆に専念できる。その状態でないと作家とは言えず、フィクションである小説を書くわけでも無くブログという媒体で、いわゆる文筆家で近い歳とか若い歳を自称している人でも上手い人はいくらでもいるんだけど、何故俺のを読むのというと「新しいから」ってことで、上手いと思えるのは先んじて読書があって表現的には模倣らしいけど、俺が社会生活者でネットで活動もしているから、偶発的に見えるけど世の中のどこかには読者がいて、接近を試みるから不思議な偶発的な事件は広く世界の側から見るとネットに顔と名前と住所を晒した迂闊な俺を狙った劇場型の犯罪スレスレの行為で、手品の本によると推理小説で有名なアーサーコナンドイルは生涯を通して手品師に騙されている人だった、というくだりがあり、江戸川乱歩の怪人二十面相は手品を使う。
ステージがあって客席があるマジックは種が分かって面白くても、俺が主体となって周り全部から騙しにかかられたら、それは俺の力で暴いたり抗ったり出来ないって話。
まあそれでも、最近の暮らしは人生の多くを割いたストリートファイターIIおよびその後続作品いわゆる「格ゲー」に縛られず、それにこだわって書いてきたブログが今更ながらというか俺が死んでからではなく47歳という時に読まれ始めて、まあ古いものは自筆ながらまだまだだとは思うものの、新鮮に読んでもらえているなら、光栄です。
まあ毎日活字の限界は感じていますよね。表現の巧さという意味ではまだまだ拙くとも、この現象はどうやったら描けるだろうかと思う事案も時々あり、それと日々戦っているから独特の表現や言い回しも生まれるのだと思います。まあ、俺からはそんだけです。派遣という特殊性はあれ、会社勤めて給料もらって定時後にゲーセンに行くとか、商店街の傍にある飲食店でカレーを食うだけど、ゲーセン客とカレー屋の店員さんと実に不思議なことが何度も起きました。それが実家に帰って商店街からスーパーに買い物に行く生活でも7年続けると、時々は不思議なことが起こるものです。
ひとたびは段々と孤独になって行ってましたが、地域の人との交流も趣味も何も取っ掛かりが無くとも、ただ近所というので付き合いがあるのが普通で、ひとたび内向的な趣味の輪から出ると、ただの田舎町、地方都市、城下町でも面白い人もいるだろうなというか面白くない人ってレッテルは俺が他人から貼られたもので、俺が面白くないなら周りの人はもっと面白くないといけないわけで、それも違うようにも思います。
活字を読まないから、パソコンにカタカタと文字を打つ仕草が面白くないだけで、またはゲームをしないからゲームについて書かれた部分が理解できずに面白くないわけで、面白いのは俺の文筆ではなくゲームだろうという正論も、じゃあ何故にゲームを持っている人やする人がパソコンやスマホで検索して俺のブログを読むのかというと、そこには定量的に測れることはなくとも幾許かの面白みを見出してくれているのだと思います。
まあでも、何から書き始めたらと悩んで書くほどに、世界の複雑さは活字の長さで紡ぐ世界以上に加速度的に不可思議になって行っているという体感はありますね。例えるならば望遠鏡で見る遠くの景色を近寄って顕微鏡で見ると俯瞰は失われるわけで、ミクロもマクロも何にも分からなくなる。それでも過去の科学者は食物連鎖を発見したわけだし、自然というのは生命というのは不思議でも、その進化や環境変化は人間社会と比べるとゆるやかなのだろうと思います。
田舎町でも、住んでいると本当にめまぐるしいものなんですよね。鈍感に無視して生きているから何も事件など無かったようにやり過ごしているけれども。
