夜中に突然グリクシスのデッキ原案を閃いてカードを組み替えてみた。
思えば、現役の頃(1999年頃)にも今持っているデッキが十分に強いのに、突然デッキを組み替えて、日本選手権などの大事な試合スケジュールを把握しておらず、色々あるデッキの内で何を持ってゆけば勝てるのか分からないくらい新しいデッキを組むのに夢中で勝負はそっちのけであったと思う。独りで自分の分も相手の分も組んだ。
しかし考えてみるとそれは藤田さんとかもそうだったし、ただ色々組むために新しい取り組みのため流行り出して高値で取引されるようになったカードを手放し、新しいセットのカードと交換して安く遊ぶということもしていたので、高くても「これは俺のだ」と主張して強く持っておくという意味では所有欲が弱く、より高価なものや新しいものとのトレードの誘惑に負けベテランにおいしいところを取られた感はある。
それはさておき、グリクシスの原案。同級生のヨシイ君が実は俺にたくさんの隠し事をしていたことが分かって電話で詰めようとしてみたが、今の便利な社会、都合が悪くなると電プチで終わってしまう。友達を無くしてしまったかもしれないと思うが、何故に俺がヨシイ君を思うかというと、俺とは全く違う意見の持ち主だからである。
そのひとつが「大きい方が強い」という素直さである。MTGのカードには唱えるために必要なマナコストとカードの強さがあり、俺はマナコストが小さい方が強いというのが持論だが、ヨシイ君は遊ばないけど大きい方が強いという。そこに攻略の軸を合わせるためにコスパ費用対効果というものが登場するのだが、バナナとミカンどちらがコスパ良いかみたいな話と、幾らコスパが良くても軽自動車で戦闘機に勝てるかみたいな問題があって、確かにレギュレーション次第では幾つかの壊れカードコンボがもう手を付けられないほどになり、そのパーツたるや何らかのデメリットを持つか大量のマナのいる大きいカードなのだ。エムラクールとかファイレクシアんドレッドノートとかな。
そうなると、つまらなくないか?と俺が言うにもどこか強がりかもしれず、高いカードを買ってつまらなくなって辞める人を何度も見たし、その中で公平に遊べるドラフトが俺の主戦場で、そこでプロショップでの新しい社会人マジックとの出会いもあった。
まあ、そのヨシイ君のくれたヒントが「リアニが5マナになって使いもんにならなくなったんだ。俺が始めたときネクロマンシーが3マナで、古いのには2マナのリアニがあるからいらないと思ってネクロマンシーあげちゃったけどあれでも今も持っていたら高価なんだよな」ヨシイ君「それでもさ、5マナで呼べるんやったら10マナとかの呼べば良いんやないか?」「まあそりゃ5マナが出ればね・・・」
それを手掛かりに、独り勝ちしないように色々の昔の遊び相手を思い出して、俺のカラーであった青赤に基本セット2021で全然使っていなかったけど興味のあった新しい黒カードを実際に使ってみるとどうなるか想定して、グリクシスに組み上げた。
注文通りに行ったかは分からないが、7マナのドラゴンを5マナで釣るだけでも強そうだし、今回のグリクシスの作戦はノーカウンターで弾き増しアドバン理論に加えて捨てて釣るリアニ戦略ではなく普通に召還して除去られてももっかいリアニ戦略である。
いやもっかいリアニが5マナなら普通に5マナのクリーチャで良いのではと色々と入れたり外したりしてみたが、結局このレシピに落ち着いた。昨晩深夜だから、夜中のハイになった人間がどれほど冷静かは置いておいて、そう言えばいつも自慢している今更なテンペスト期のプロツアーも深夜のハイからの新デッキでの「奇襲」であった。
まあでも、幾ら強くても白騎士団がMTGかというと、それ魔法じゃなくて戦争だから、派兵じゃなくて召喚獣こそ魔法だし、それに火の玉、稲妻、巨大化、支配魔法、ネクロマンシーとこう来てようやく楽しい魔法バトル「デュエル」であるわけで、この新生グリクシスこそゲームを楽しもうという意思があるのかもしれない。
カードボックスが1個しかないし、パーツが被っているので自分デュエルでの実験が出来ないが、大体どういうデュエルになりそうかというイメージが出来る頭になった。
まあグリクシスというゲーム内の固有名詞にどれほどの意味があるかは分からないが、グリークって何だっけというところを辞書で引いて、俺はこちらを考える。
