今日のFF7はウォールマーケットまで

6番街スラムで30分以上迷った。家のお化けみたいなモンスター、あれ雑魚じゃなくてボスだろ。店もセーブポイントも近いので迷って困るところでもないが、シナリオが面白いところでエンカウント&迷路はムキーってなる。攻略Wikiに手を出してしまった。無かったら3日くらい迷える自信があるわ。3D表示と十字キーの組み合わせのタチの悪さよ。

f:id:karmen:20170428145222j:plain

シナリオが面白いところで迷って嫌になるというのは、ちゃんとシナリオに引き込まれている証拠でもあるので悪いことではない。反対にXBOX360ドラゴンズドグマを夢中で遊んでいてヒドラの首を王様に献上しに行ったところで王都の人の多さに「この人混みのみなさんと話しないと先に進めないのか」となって放置したのを思い出した。モンハンでも緊急クエスト終わってセリフのポップアップが全部のキャラの頭に出ていたりすると「またいつか暇のある時に」となってしまう。バトルしたい時にバトルできて話を読みたい時に話が読めるゲームは良いのだけど、FFはな。話とバトルが交錯していつなんどきシーケンスが切り替わっているのか分からなくして夢中にさせるバランスだから。

そして隙がないと言いつつテレビは見てブログは書いてついでにスーファミ版のストIIターボをガイルでクリアしたりしている。

ストIIXを今でも遊んでいる人とそれ以降のゲームで遊んでいる人をカテゴライズして見てしまう傾向があるんだけど、別にそれがサムライスピリッツ初代とか斬九郎とかヴァンパイアハンターとかでも「それだけ」って人と「セイヴァーもやるし、ストIII3rdもやる」というマルチな人がいて、マルチであればあるほど交際が広く、交際が広いとひとつのゲームに特化した人からそのゲームの最近の情報を仕入れてまずます詳しくなる。でも、ストIIXとそれ以外に分けて考えるのはストII、ダッシュ、ターボ、スーパー、エックスの違いや反対に変わっていない部分の攻略情報は最新情報ではなくレガシー情報なので、マジックザギャザリングの古いカードで強いカードは新しく始める人が誰かから譲ってもらうかショップで法外な値段を払うしか無くて、それと似ている気がする。ストIIやっていた人はみな大枚はたいてゲーセンで対戦して毎月のゲーメストをくまなく読んでいた。

だから、ゲームが出てからオルアバのような総合攻略本が出た時代ではなく、月刊誌で「今月は飛び越し投げとくぐって投げで投げ合うとジャンプから着地するほうが100%勝つ」というような情報を蓄積した結果「相手をくぐったら投げでは投げ負けるので空中にいる間に中パンチで落としておく」という共通見解に至っていて、新参者にそれをわざわざ教える人がいないし、それでも人気があって対戦人口があるので問題なく昔からやっている人が強いまま業界が回っている。ゲーメストのバックナンバーを揃えるよりかは新しいゲーム買うよな。

やっぱストIIシリーズとそれ以降の格闘ゲームの間の溝は深い。日本でもそうだから日本じゃ中堅プレイヤーの俺が北米なら勝てたのもやはり情報量の差。

突き詰めた者同士だと反対につまらなく感じる。知っているものが知らないものに勝つ。これこそが必定。そして知られると負けるのも必定。対戦して連勝して負ける時は「チキショー!気付きやがったか!」なのだ。本で予習してきたものに連コインコンティニューで挑んで対戦中に負けて考えて答えに気づく。その繰り返しだったな。

ドラクエやFFの新作にWikiがあると便利なようにストIIXにも新規プレイヤーが勝つためにはWikiのような情報のデータベースが必要なんじゃないか。それは昔から続けている勝ち組が作ってくれるものでは無いだろう。そうすると、繰り返しになるがやはり今からストIIXを掘り下げるよりは新しいゲームを買うだろう。

それなのに任天堂switchで出る新しいストリートファイターストIIの系譜に続くウルトラストIIだという現実。

俺が何故今更にプレステのFFVIIをやっているかもそういう話に通じる感覚だよな。売れていて人気があってそれを起点に語るものは新参者にわざわざ教えてやらずとも充分な人数の輪がある。そこに入っていくには自分で掘り下げる必要がある。

FFVII日記を付けようかと思っていたんだが

盛大にネタバレを盛り込んだウォークスルーになるからやめとく。「俺はこのゲーム、こう遊んだよ」という主体性が入り込む余地なく、五番魔晄炉でひねくれた進み方をして迷ったよとか、ボタンの同時押し意外とムズいとか、何人が経験して何人が共感してくれるのかさっぱり見えてこない上に迂闊に書くとネタバレになる。ネタバレは今更だが俺はFFVIIで既に遊んだ人とも話をしたいし、まだ遊んでいない人が俺のブログを読んで「それみんな遊んだんやー」と思った人が読んで済ますでなく一緒に遊んでくれたら嬉しい。

さり気なく提供されるテントやエーテルは多分使わなくても進めるバランスだけど、それ使ってレベル上げしながら進んだほうが戦闘を考えないでボタン連打で進めてラクかも。という具合。今のところボタン連打とポーションとケアルだけで片付いてる。クラウドも魔法が使えるのに!だ。

しかし、俺の友達の中には魔法が分からずFFIIを「たたかう」と「ケアル」だけで皇帝まで殴りきったやつとかFFXをアーロンだけレベル上げてシンを斬り倒したやつがいて、「ちょっとやらせて」とコントローラを奪ってティーダで「ヘイスガ」をかけるとアーロンがさらなる無双をして驚いていたりした経験もあるので、FFに自由度がないと考えるのは思慮不足。

与えられたリソースを上手く配分して詰めるようにクリアしちゃうから一本道で選択肢が無いように思えるんだけど、それは色々なゲームに慣れて最適解がはじめから見えちゃうからそう錯覚しているだけで、一本道にみえる随所に脇道でレベルアップ可能になっていて、魔法プレイでも戦士プレイでもちゃんとクリアできるのね。

なんだろう、この感覚。詰将棋に見えるけど、王手をかけなくても詰まされない。分かりにくいかもだが。

そう、俺は魔法好きで女神転生がダメになった理由はナカジマが戦士キャラでユミコが魔法キャラな初代は行けたんだけど、ステ振り自由な割に上げ方をミスると詰むバランスが嫌になったからなんだよな。でも女神転生やペルソナというアトラスゲーが好きなやつに言わせると「俺も何度もやり直したよ!」と言ってたので、俺だけが選択を誤ったわけでなく、みんなもうちょっと我慢強い。

そんな俺はドラクエXでコミュの中ただひとりの魔法使いを楽しんでいたけど話が進んで装備を変えると魔法使いの服を着て、それを見たひとりが「その服カッコイイ!」と速攻で魔法使いに転職して服をパクられて嫌になってログアウトしたんだよな。これも冷静に考えると盗賊とか戦士とか僧侶をやっている人は自分と同じような格好をしているキャラが周りにウヨウヨ居ても平気なわけだ。そうだ、それから俺は自分のいつも買うブランドの服ではなくユニクロを着るようになったんだったな。「自分だけ」じゃないことに慣れないと人の輪で暮らすのは難しい。

最近は被せられると嫌な気分がするでなく、むしろ自分からどこにでも居そうな人に寄せて服を選ぶ。東京では多くの人がそうらしいな。浮かないように忍者のように。

マテリアを覚えたぞ!

この3年カプエス2が日課だったんだけど、それをFFVIIに切り替えることにした。

文字を読んでいるだけで20分が過ぎていく。子供の頃に物置からお爺ちゃんが家のテレビを買い換える前、つまり俺が生まれる前に家で使われていた小さなブラウン管テレビを見つけて居間の床の間に置いてそこでファミコンをしていた。家族がテレビを見ている横で小さいテレビで遊ぶファミコン。そこでドラクエ1と2をクリアしたなぁ。

f:id:karmen:20170427092200j:plain

いつからかゲーム以外の生活が忙しくなり「貧乏暇なし」で生活のスキマ時間でゲームを遊ぼうとするとRPGをゆっくり遊ぶ感覚を忘れて「早くゲームさせろ」とロード時間や話の前置きにイライラするようになっていた。

ゆっくりやろう。今日は戦闘が無かったが、ティファとの思い出とマテリアの使い方を覚えたんだ。しかしクリアに75時間が目安とすると1日30分では5ヶ月かかる計算になる。これから半年間のブログがFFVIIちょっとずつ進むブログになるのだろうか。いや、まさかな。

今日は戦闘が無かったが「ウィザードリィ戦闘の監獄」みたいなゲームはそれはそれで嫌だ。話と戦闘のバランス。プレステはゲーム会社の参入障壁が低く開発マシン100万円で作ったら発売させてもらえるから、当たりハズレの落差が大きいらしいね。んでもハズレのゲームでも作った人なりに面白いと思わせるポイントはあるだろうから、やりこんでそれに馴染むための我慢が出来れば大抵のゲームは面白くなる。

子供はボキャが無いので「面白かった」「つまんなかった」しか言えないから、それは仕方ない。人から「面白かった」「つまんなかった」しか情報が聞き出せなかったら、一緒に同じもので遊んでみてどこがどういう風にと掘り下げたい。そのへん、ゲーセンで出ているゲームは面白そうに遊ぶ人を見たことがあるから自分も真似したいってのがあるよな。


🄫1999-2023 id:karmen