ここ数年あまり変わり映えのない生活ですが

マックグランの登場とか、ファミレスやコンビニの低価格で美味しいメニューの登場とかで所得が変わらずとも生活は豊かになった感じがします。

ゲームに関しては新しい課題が見えてきて、流行っている間にとか大会までにとかそういう対外的なタイムリミットが頑張り続けられる限界として以前の取り組み方は無理してでもそこまで頑張ろうという感じだったのですが、飽きてやめて下手になってもいいし、続けるなら続けるだけやりたい課題はいくらでもあるって感じの心境です。

何事につけても上手く行かないのは準備不足だなと。それを運と捉えていた時期もあるのですが、それはやっぱり暗黙的にタイムリミットを切っているからであって、親子三代で何かの事業をなそうとか、そんくらいの大義と比べるとやっぱ生まれて一代限りの儚い夢を求めているから上手く行かないのかもしれないなと思います。

まあ、反対に伝統や格式のないサブカル的なゲームの世界だったから自由で楽しかったのかなというプラスの見方も出来るんですけどね。

振り返ると色々なことに飢えていたんだなと。まさに餓狼伝説。満たされちゃうとどんどんダメになっていきますね。そのダメさ加減も幸福だし、飽食にならないよう敢えて一食抜くように何かに精進できればなと。

鬱屈の中にも共感はあるだろうな

成功は素晴らしいことだし、何かの世界でトップに立ち、別の世界でのトップの人と交流もを持ち高め合う。ああ素晴らしいじゃないか。

まあ、そういう人は子煩悩だったりするよな。自分の代で築いた成功をなんとかして子供にも味あわせてやりたい、みたいな。

反対に子供に夢を託すってのが俺は嫌いだったりする。自分でやれよ、みたいな。

そうは言っても、俺はそんなに成功に満ち満ちているわけでもない。

世界に業界が色々あると各界に成功者が色々と居るわけだろうが、やはりそれを支えるだけのピラミッドの下の人のほうが圧倒的に多いわけで。笑点の昇太さんと山田くんでは実は山田くんのほうが金持ちというように、社会は古代のヒエラルキーが如く高い地位で富んでいるものと低い地位で貧しいものというふうに身分と貴賎が比例しているわけでもなく、身なりや話しぶりは自由であって、高い地位でも謙虚な人や何もなくても安い酒屋で管を巻いて偉そうな人なんかも居るわけだが、まあ世の中の大半は地味で目立たない何かの仕事のピラミッドの下の人間だろうと思うわけよ。

なんかこう、鬱屈を誰かと共有することで得られるものもあるんじゃないかって。

それだけが言いたかった。書いたらスッキリした。どういう風に鬱々しいかまで自分の内面を抉り出そうとは思わないけど、成功して自慢したからと言って喜んで受け入れてはくれない人間ってのが世の中にはいる。そんな浮世を生きていくんだよ。

時系列による矛盾を受け入れることも大切かなと

ネットではツイッターブーメランが取り沙汰され、まあ既に通り過ぎた話なのかもしれんけど、その人が昔言ったことが我が身に降り掛かるというようなことがあったとして、その背景に日本人は若いときから老いるまで首尾一貫して無矛盾でなくてはいけないとか、もっとやさしく言うと「二言は許さない」って圧力がありますよね。

その圧力が若い人からのものなら、まあ仕方ないかなと思うんですけど、年を取ってはじめて分かることから若い時の意見をあらためて人間が丸くなっていくっての経験するもんじゃないんですかねって俺まだ39歳だけどさ。

この矛はどんな盾でも通してきたんだよ。この盾はどんな矛も防いできたんだよ。せっかくロトの剣みかがみの盾を揃えたのに竜王を前にしてどっちかぶつけて壊せってのかよ、と。

論理的矛盾って言うけど、事象から論理にモデル化された時に見落としがある断面的な論理で考えるから矛盾しているようにみえるだけで、事象というのは刻々と無矛盾に変化してゆくものだから、せいぜいが「言った言わない」程度の話なんですよ。


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