近代哲学の落とし所ってなんかつまらんよな

哲学というと形而上学が好きだ。なんか高尚で分かりにくくていかにも勉強しているって感じがして普段使わない漢字が出てきてカッコイイ。

けど、最近ものごとをよく考えて出て腑に落ちたところで昔に買った哲学の本をもう一度読んでみると、カッコイイと思っていた本の中ほどでなく終りに近いフーコーとかがすんなり入ってきたんだよね。人は社会という環境から切り離して生きることは出来ないのだから、社会に対する認識と人間がいかに社会の束縛を受けているか、みたいなこと。

たとえばコンビニでおにぎりが100円で売られ始めた時に田舎のばあちゃんが「あんたら計算も出来ないのか?コメ1キロなんぼやとおもてんの?これ炊いて握ったら100円もするか?」と驚いていたのだが、近頃はおにぎり1個100円というのは物価の基準になっている。物価は貨幣価値などの絶対性で考えるべきか既に値段がついているものからの相対性で考えるべきかというのも、もはや個人の観測で認識してコントロールできるものではない。近所のコンビニでは130円だし、家で握っても原価20円くらいはするし、農家だったらコメはタダなのかというと農地の税金とか苗はタダかもだけど肥料とか色々と育てるだけでも微小に原価はかかるわけで、それらは絶対価値かというと農地の税金なんてのは国が決めた相対価値であるわけだからコメの原価も相対価値になる。

哲学もそういう風に完全に自由で論理的な形而上学の思想なんてのは形成されなくて、話と言葉と書き言葉で伝わってきた言語による束縛を受けて、それから逸脱して数式のようなもので考えても、結局は実存に戻る時に全ては台無しになってしまうもの。コメの価値を数学で求めようとしても、全ての価値の関係性を代数で表したとして、どこかにひとつは「今ついている値段」を放り込まなくては実値にならない。

ああ、思いかえせばつまらんことだけど、楽しい空想だったよ。地に足の着いた考え方って意味で言うと高校生くらいからぶっ飛んでいて、40歳でやっと着地したんだ。長いフライトだった。

「差別をなくそう」という考えは不合理極まりない

初等教育である小学校で「差別はいけません」と習ったので、なるべく差別はしないようにと思って生きてきたが、どうしても無意識の先入観みたいなものはある。そして同時に自分が差別を受けた時に自分は差別をしていないのに相手から差別を受けるのは理不尽だという論理でモノを考えていたんだけど、たとえば肌の色が白黒と違っているのに先入観を持たないで見れるのって色盲なのかと。

そこに頑然としてある差別は第一印象としての自然な捉え方であると思い始めてから、受ける差別を理不尽には思わなくなってきた。まあそりゃ、そう思われるよなと。差別を無くす方法として、自分が差別をしないようにするからお前も差別をするなという無理強いでは差別をする側の人間に共感を持たせるのは無理ではないかと。

ただ、歴史の順番として差別があるから奴隷制があったのか、奴隷制があったから差別に発展したのかは注意しないといけないとは思う(このへんは勉強中なので掘り下げない)

差別というのはする側の先入観てのはもちろんあると思うけど、同時に差別をなくす教育を受けたものが別の原因で受けている何らかの害を非差別意識に理由づけして解決できる問題を解決できない問題にすり替えてしまうという側面もあるとは思うんだ。

とかく、出発点が不合理なら解決が合理に向かうはずがない。差別はあるし、されて当然。まず肌の色や性別や年齢や学歴に年収に服装に言葉遣いなどから受ける第一印象から親密な関係に至るまで、平等で対等であるという誤解をしたまま出発するよりはどのような偏見を持たれていて、それは自分の所作で解消できるものなのか相手の意識を変革せねば成せないことを企んでいるのかということも考えないといけない。

個人として差別をしまいとパーティに色々の人を集めたばかりに、かえって差別を浮き彫りにしてしまったというような事案が過去にあって。一足飛びには解決しない以上、現実を受け止めて少しずつ改善するしかないんだよね。差別をする人間のほうが自然に近いなら、人為的にそれをどうしたいかとか、どういう状態になったら差別を受けていると考えている人間が差別を受けていないと感じるように変化するのかって問題を合わせて考えていかないとダメだと思うんだよね。ちょっと不合理でもさ。

今日はお絵描きをしていたのだ

デジ絵を3枚くらい描いてそれはお見せできるシロモノではないが、久しぶりに落書き帳を出してペンで絵を描いたらトラックパッドの10倍はかどって楽しい。

やはり「線はアナログ、色はデジタル」が基本だと思うのだが最近はペンタブで直書きのプロ絵描きさんも増えているそうで。

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全編こんな感じの腑抜けたマンガ絵で進むゲームを作ろうかと計画している。落書き帳に全部の絵を作ってスキャナで取って2値圧縮して、それってもうゲーム性なくてマンガでいんじゃね?という気もするがプログラマーなのでゲーム的な味付けを。

しかし、この絵で無頼漢が王様に会いに来たという認識はされるものだろうか。

分かるならこう、マンガの枠を超えてウルフェンシュタイン3Dくらいの原始FPSというか、4方向だか8方向くらいのマンガキャラを描いて俺の描いたマンガ世界を探索するゲームとか、どのくらい日数かかるだろうな。

いや、今日は「コイツホンマにやりかねん」と思わせたら勝ちレベル。企画。


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