会社員としてしている仕事を家で出来ないかと

20年前にソフトハウスで勤めているというとITという言葉がテレビや新聞などのメディアで取り沙汰される前なので「何をやっているのか」ということを不審に思われた。

1台100万円から50万円くらいするパソコンを10台並べて月給20万円のプログラマーが10人で3年間かけてソフトを作ると8000万円くらいかかるわけで、それを1本特注すると原価8000万円というクッソ高い商品になるわけだが、マンションなどを建てる時の構造計算書をいう役所に出す書類を自動で書くというソフトで、それが出来てしまうとあとは一級建築士の先生の印鑑があればヤクザの建設屋でもビルを建てる書類審査をパスできてしまうので、3社くらいの売約を1件5000万円くらいで取れば1億5000万円の売上に対して原価は相変わらず8000万円なので利益が出る。

しかし、フタを開けてみると構造計算に必要なものと言えばパソコン1台とプログラマーひとりだったのである。俺はというと、そのコア部分ではなく物件の入力を専門家ではなく建築デザイナーでパソコンちょっと使える人くらいが扱えるようにウインドウズで動く画面とマウス入力出来るように補助するプログラムの作成だった。今考えてもこの作戦が成功だったか失敗だったかは分からない。なぜなら出来上がったソフトが扱いにくいがゆえにさらに建設屋に入力指導などのソフトハウスの回し者を入れたり、ヘルプデスクやサポートセンターなどの業務が成り立っていたからだ。

それに対し、当時の俺は世間知らずでバカだった。なんでもかんでも便利にしたほうが世のため人のためになると考えていたからだ。そして田舎暮らしよりビルの立ち並ぶ都市開発のほうが人々を幸せにすると考えていたかも知れない。とにかく「便利にしてやるんだ」と仕事に打ち込んだ。

それをパソコンのスペックアップが後押しする形になって、10台で開発していて入力にも何人もかかる構造計算がパソコン1台で出来るようになってしまった。お客様から来るクレームやバグの報告も無くなり、ヘルプデスクからの電話も無くなり、順調に顧客が増えたのだが、なにぶん全自動で構造計算書が役所に提出するフォーマットでプリンターから出てしまうものだから、プログラマーとしては仕事が無くなった。

もちろん、その成果でプログラマーとしての評価は小さい界隈ではあるが認められるようになって、富士通から次の仕事をもらった。そして富士通で成果を出すと外資系からも仕事をもらって、外国企業で日本企業をつぶしにかかる算段にちょっとの昇給で乗ってしまった。なにかこう、社会に対する恨みや仕事で成果を出すことでそれを見返すことが出来るように感覚を持っていたと言える。

その中で、本音でいうとどんなに出世するよりひとりで昔のパソコンでゲームを作って雑誌に載るくらいのこじんまりとしたプログラマーになりたいと願っていた。どうしてそんなに出世の途中なのにひとりでゲームを作るくらいのことが夢なのかと思われるかも知れないが、商用システムなどと違って、ゲームを作るというのは独特の知識と工夫が必要で、特に低スペックの古いコンピュータでそれが出来る人というのはオタク的なイメージかも知れないが、外資系のシステム屋よりよっぽど博学な人が多いのだ。

そんで今日はMUGENのキャラデータの一部であるSFFファイルをバイナリダンプする10行くらいのプログラムを書いた。既にあるストリートファイターIIのバイナリを解析するか、類似品で情報が多いMUGENを解析するか、オープンソースXNA版をコンパイルするために新しいパソコンを買うか、自分でイチから作るか。

2年くらいあったら作れるんじゃないかって気はしてるんだけど、出来上がってみて42歳になって自分のパソコンにJavaで動くMUGENもどきが全て揃ったとして、それを商売の形にするには勝算は低い気がする。いまさらだからな。

それでも「出来たら便利になる」という20代の志を思い出してみると、JavaでMUGENの実行環境と開発環境が揃うということはすこぶる便利なのであるが、カプコンなどの格闘ゲームを売り物にしている会社にとっては不利益になるだろう。コンピュータの進化はプラスサムゲームではあるが、ゲームを作って売るという商売は市場の分を奪い合うゼロサムゲームだから。

そんな夢みたいなことは語るべきではないかもだけど、会社勤めという一種の免罪符を持たないニートの俺は家で商用でなく趣味の開発をして元を取れるかも分からないという状況を少なくとも近所の人には分かってもらわないと、近所の人なりに名前でネット検索してフェイスブックを見つけるなどと詮索をしてくれているのは分かるんだけど「ワシらもフェイスブック始めたら商店街に活気が出ないか」とか話を振られて商店街もへったくれもなくてパソコンでゲーム作りたいんですそれも自己満足のために!という意思表示だけはしておいて、その是非を問うってこと必要あるんちゃうかな。

「会社って何やってんの?パソコンしてるだけちゃうの?家でもでけへんの?ワシらも儲からんの?なんで教えてくれへんの?分けてもらえへんの?」などと言われるので。

いや麻雀ベーシックでみんな麻雀格闘倶楽部をタダで遊べるようになったようなものじゃないかってことから、俺が今考えていることを類推して欲しいと思ってあれ作ったんですけどね。

作詞作曲に憧れるより選曲と選歌と考えたほうが良いのかも

作るって考えると構えちゃうし何も出てこなかったりするもんだけどさ。

創作ってのは子供でもデタラメで良かったら出来るもんじゃないですか。それに対して良し悪しを比べるより、良いとされているものにたくさん触れて、その中から選ぶ程度で大体のことが回るくらい、世の中には既に作らてたものがたくさんあって満たされているとか、それを変える新しい才能が待たれていると言うか。その状態にデタラメでは太刀打ち出来ないのが普通で、才能なんてなくたって良いものを知っていてそれを選べればまだそれを知らない人を満たすに充分だと思うようになったんですよね。

それを踏まえて、楽器の演奏技術と選曲と選歌は別物で「何でも弾けます」って方に曲を選んで弾いてもらうって意味で心斎橋でiPod売ってた俺がセトリ作ってみたら案外ウケて多くの人は真似してiPodを買って俺本人が売れたとか受けたわけでは無いんだけど、そこは悲観しなくてもファミコン売ってた頃と比べたら随分と良くなってるわけで。

そんで今の目標は「カノンロックを自分で演奏する」なんだけど、「ボク弾けますよ」「ワタシ弾けますわよ」って人がいたら、ネットジャンキー的には古くてもまだまだウケるポテンシャルを秘めた楽曲なんじゃないかと。若い人の5年ぶりくらいの「懐かしい」とクラシックの名曲であることの伝統とどっちも知らない人を充分に惹き付ける「新しい」がちょうど合わさる感じになると思うんだ。

脳幹強化計画というほど大したものでもないけど

人間の脳って右脳が直感で左脳が論理とされてるけど、基本的に日本人の大半は右利きで左利きでもマナーの面でお箸や筆を右手で使う人も多いかと思うんだ。男女の差でおっぱいが付いてるのが女なのは性差だけど、髪の毛が長いのが女だと思っていると男だって伸ばす人がいるかもしれない。これと同じように左脳に影響を与えるのが右半身ということから、右手で文字を書いたりするから論理性を左脳が司るっていう役割論を仮説として持ってみたのよね。

それで左手右手役割交換訓練を始めてから結構長い時間が経って「左利きが天才つーから俺にもいつか天才性が」と始める前に思ってたんだけど、フタを開けてみると天才性が開花するどころか右も左も中途半端で会社も辞めちゃってグダグダな人生を送っているんですけど、子供の頃から右耳に難聴があって、左耳は問題なく聞こえるから大丈夫だよってお医者さんに言われて信じてそのまま大きくなった。そのさなかでウォークマンで音楽をヘッドホンで聞く時に、何を思っていたのか律儀にヘッドホンのLとRの小さい文字をいつも確認して正しい方向で聴いてたのね。

んで「ソニーがボーカルが左耳にしか入っていない音楽を流布させることでテレビが一億人を白痴化させたようにウォークマンで音楽を聴いている人を類人猿にさせようとしている」というトンデモ類人猿計画を展開していたんだけど、それ俺が右耳難聴だからだったのよ。

いやね、ふとした好奇心でヘッドホンを左右の形が変わらない安物にして反対に付けてみたの。そうすると、ボーカルが左に入っている歌もあれば右に入っている歌もあって、特にバンドだと中央がボーカル後ろがドラムでベースが向かって左でギターが向かって右じゃん。だから音源もそれに合わせてレベル調整されてて、俺は右耳難聴だから左耳が実質の聞き耳でそっちの音量がベースのがレベル高いから独特の歪んだ音楽観を今まで持っていたんだよね。

何度も繰り返し聴いた曲でもヘッドホンで左右を入れ替えて、ボリュームを少し大きめにすると聞こえにくい右耳にも元から聞こえてる左耳にも同じ音楽のはずなのに初めて聴いたような感覚の色々の音に気付くようになったの。

そうして、音楽を聴き終わってヘッドホンを外すと右耳が微妙に聴こえる感じがるすんよね。テレビの音とかさ。思えば俺が子供の頃って家のテレビの音量が結構大きめで、今のテレビで言うと25くらい単位は分からんけど。それで家族の会話もそれを上回る音量で、子供の時は気にならなかったけど、中学で友だちになったのが「お前声でかい!」っていつも困った顔をして。そんで別のクラスメートで聞き取れない話しかできない人もいた。

それに対して、ある時に家のテレビの音量を週に1ずつくらい減らして、部屋のテレビの音量は今12なんだけど、8くらいでも聞き取れるようになるまで下げてみるテストをしたことがあんのね。居間のテレビは親父もいるから18くらいに下げて、それで問題なく過ごせてる。

これをヘッドホンで右耳が拾える音を鳴らして少しづつボリュームを下げる訓練をしていったら右耳の難聴が治らないかなと考えたんだけど、どうだろう。昔よりかは聴こえるのよ。完治はしないのかもだけど、それと冒頭の右脳左脳の役割は社会的な右手左手のの役割と関係している論をつなぎ合わせると、頑張って両方同じように鍛えたら何か新しい世界観が得られたりしないかなって、それより右耳普通に聴こえるようになりたい。

そんで今日はB'zのCallingの「この声が聴こえるかい」の後がちゃんと聴き取れるようになったのね。でもギターの稽古はサボってるからスーパーギタリストにはお爺までやりこんでも成れないと思うの。てか40歳から志して成れたら常識が覆んだけど。

そういえばGLAYもLUNASEAもツインギターで左耳にもギターが聴こえんだよね。


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