さいきんの三国志

大和郡山市の図書館には横山光輝のマンガ三国志が揃っているんだぜheheheとか言って、最近は蒼天航路なんですかねアレは青年誌だしちょっとエッチもあるからどうなんかなと言っていると「いや、キングダムでしょ」ってアレ三国志のマンガだったのね(知らなかった)
漫画といえば高校の倫理の先生が少女マンガを通学バスの中で読んでいるのをみんな知っていながら黙っていたが授業中に「やおい本というのは山なし落無し意味なしでやおい本と言うんですよ」と男子校で一体何を教えようとしているのかと思ったが、俺の辞書で「やおい」を引くと「女性読者のために創作された男性同性愛の小説やマンガの俗称」と載っており、もはや隠し立ては出来ない。
いやね、俺はヒカルの碁は普通にマンガとして面白いと思っているんですけど、あのマンガは平安美形貴族と平成の子供という時代を超えたホモマンガなんですよと得々と語るヲタがいたが、あいつは少年ジャンプじゃなくコミケで間違った雑誌買ったんじゃねえか?
既に少年ジャンプはコミケ同人誌を売るためのアフィ商業誌で漫画家は有料ノートとして同人で小遣い稼いでるとかなんとか。
俺小学校のときはノートにドラゴンボールのマンガとか書いてたことあるけど、中学校の漫研というと既にそうでない趣味よな。マンガは近頃読んでないとです。最後に読んだマンガはハチクロです。出張で大阪ガスの研究所であるオージス総研に行かされて通勤2時間近いのはしんどいとです。洗濯物のサイクルが回りきらんとです。女子社員からちょっと匂いますよと部屋干し臭を指摘されて「真山のニオイだ」と言ってみて笑った人は。ヤクザの事務所は美人OLがいるけど研究所とかで働く女子はやっぱそうだよなと偏見をあらわにしました。
みなさん夏コミお疲れ様です(俺は行ったことないですが、30歳くらいまでマンガの描かれた暑中見舞いが数通届いていました)

アップル創業当時のスタッフは「宝石職人みたいな仕事」と愚痴ったそうで

プログラマーが王様になる社会は有りうるのか?いやー、ダメなんじゃないの?
コンピュータ技師というのは未来予測がスパコンに委ねられる時代が来ても王様の冠を作る金物宝石職人か政治を取り仕切る大臣か神様を奉る司祭みたいな存在で有り続けるわけで、コンピュータにプログラムを打ち込んで王様に成り上がるシナリオを今は想像できない。
昔は今よりバカだったから、仕事が割り振られたらそれを自動化したら仕事をせずにメシが食えると思っていたんだけど、プログラムを組んで自動にしてサボっていたらサボっているからという簡単な理由で職場からポイされて、何かしているふりをして実はサボっていたやつが上司に取り入って得をしたという。バイト時代もゲーセンふたつ掛け持ちしたことがあってUFOキャッチャーの飾り付けとか筐体の整備とか勤務時間が終わってから対戦格闘ゲームの相手役などをずっとやって店の儲けを出していたのに、社長がときどき店に来てその時だけ掃除をしているフリをした他のバイトが残って俺は放り出されて、俺が居なくなったら店は客が居なくなって1ヶ月で潰れたんだけど、まあ管理職と仕事の関係はずさんなところじゃそんなもん。ずさんっても、自分も自分ちでテレビ見るようになると地方営業してる芸人さんよりテレビに出てる芸能人ばっかり見てるわけだから、たぶん社長や上司と同じくらい人の仕事なんて見ていないわけで。責めれない。
ところで、その昔に格闘ゲームの実況で「待ちナッシュ」というプレイヤーがゲーセンの対戦台では勝っていて大会優勝をしたことがない様を語りながら「無冠の帝王待ちナッシュは王座獲得なるか!?」と叫んでいたのでけど、無冠の帝王という言葉を辞書で引くと冠は持っていないけど実質上の権力者という意味でジャーナリストを指す隠語だったらしいのね。国語で言う行間を読むというのは台詞や描写から心情を推し量るという意味だけど、特に英語では意味のわからない単語を前後の文脈から推理していくという能力が重視されていて、それは日本語で作文が出来ることより英論文とか英字新聞を読んで相手の言っていることをスパイするほうが東洋の学問をするより西洋のほうが進んでいるという前提で生み出された戦後教育だったんだよな。
だけど俺がプログラムの勉強をしてネットに繋いでみたところでマイクロソフトの情報をスパイしてもゴミみたいな文書だなと思って、そこはアップルの情報をスパイ出来ていれば世界は違ったかもだけど、日本じゃマイクロソフトがばらまかれた時代だったから。無駄な10年だったなと思うんだよね。
その無駄な10年の跡の10年はどうだったかと言うと勉強に当てたんですよ。人から金もらって雇われる仕事の評価のバカバカしさから逃れたかった。日本語でブログを書いて発信者になることにどれほど意味があるかは計り知れないけど、自分で書いて読み返すと少しずつバカが直ってきている感覚はあって。まあ、受験生と比べたら勉強のペースはすごく自由気ままでゆっくりだとは思うんですけどね。楽しい気分に包まれて、気がつけば10年経っていたという感覚ですよね。

カジュアルプレイでは投げハメはシビアすぎるんですよね

格闘ゲームのスポーツ化で「ルールはゲームのプログラムだけで充分」という風潮になってきてる感じがするんですが、そのためルールを変えるためにカプコンツイッターで文句を言いまくる人とかも現れて、昔の投げハメ論争は何だったのだろうと振り返るわけです。
投げハメはハメなのかというと、厳密にはリバーサルがあるキャラにはハメではないとか、投げ返しがあるとどうとか、そのへんプログラムを解析的に考えてひとコマごとにどうジャッジされているか突き詰めた人もいるんですけど、先ず仕掛ける側が詐欺飛びヒット確認コンボとガード確認投げハメというパターンに持ち込まれると、ひとコマ1フレームつまり60分の1秒のジャストタイミングでボタンが押せて初めて50%から25%くらいの確率で返せることもある、という攻め方になるので目押しが出来ない人は一律負け確になるんですよ。
そのため、カジュアルプレイでは「お手柔らかに」という意味で投げハメは禁止しようと。競技じゃなくて100円出し合ってゲームだからと。そのへんはルールとして明文化されているかどうかより空気が読めて集まった者同士で楽しめるかという派閥と、ゲームはスポーツなどの審判不正のないコンピュータによる厳格なジャッジだからゲームの中では何をしても良い派閥で何度も言い争いになったんですよね。
このへん、東京では店も地域も人口も多すぎてネットや雑誌投稿の論壇に代弁される以外には「ハメ有り」が「ハメ無し」に必ず勝つ以上ゲームセンターで無言で台を取れる人間は「ハメ有り」になるので、対話無しで観察する分には「ハメ有り」に見えたんですよ。
俺はヴァンパイアハンターというゲームに拘っていた時期があって、その頃にウメハラさんとその取り巻きのグループで関東、中部、近畿、四国に分かれて対戦会をしたんですけど、中部と関西では大会でもハメ無しなんだけど、東京は無言でハメてきて四国チームの大将がとてもアッサリ倒されてしまったんですよね。
この時に俺は本当に色々の葛藤で複雑な気持ちになったんですよ。自分はハメ有りか無しかと言うと、ストIIではハメ有り派だったけど、19歳という年齢で大人はハメ無しでも中学2年のウメハラのハメには不満があっても黙って放っておけば良いという態度で、勝ちたいと楽しみたいはゲームで一挙両得だと信じていたものが、この大会で勝つと楽しむは二分されるんじゃないかと。その時は上手く言葉に出来なかった。自分の中にも矛盾があることが分かったから。
その大会は20年以上前で、実は10年くらい前にも同窓会的な対戦会が大阪であって、東京でウメハラにも引けをとらないと思うプレイヤーが遠征に来ていたんですよね。俺はもう、ハメ有りで思いっきりぶつかってみたいと思っていたのが、フォボスのコンフュージョナーハメ(即死コンボ)を決めて勝ったら、東京の方から「それ反則だよ!」「どうして?」「旧基盤だけのバグ技だから」と言われ、他のものは皆黙ったままだから、その条件は飲んで、ハメなしのフォボスでは負け、それで自分で五分以上だと思っているビシャモンモリガンでこちらビシャモンで何でもありルールで挑んだんですけど、自分が東京は何でもありだと勘違いしていただけで、一発ガードキャンセルでこちらが勝つと相手も一発ガードキャンセルをしてきて勝てなくなり、投げハメはその間合いにならないように戦われて1回のハメがリードにはなっても、相手の側はやられたらやり返すの空気感で結果かなりの負け越しになったんですよね。途中で誰も二人の試合を見なくなって、満員だった会場を二人きりにされて、負け越しだと俺は記憶しているけど皆が帰ってきた時には俺が勝った後で「まさか東京のあのモリガンが負けるなんて」「連勝止まってるやん」「ミヤザワくん勝ったね」と言われたんです。
俺の中のルールでは何回やって勝ち星の数を競うというプロ野球みたいなルールなんですけど、巷ではゲームの勝ち負けは運によらない実力だとする人も多く、負けは経験で負けて相手の手を覚えることで経験値が入ってプレイヤーが強くなり、そうして強くなったことで相手を負かすようになったらこちらのほうが上ということで、最後に勝った方の勝ちという論理もまだまだ根強くて。このルールだと閉店までコンティニュー出来る財力が絶対条件で、店が儲かるから店に好かれるルールなんだろうとは思うんですけどね。


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