今日の読売新聞の「地球を読む」

万博誘致の投票に勝った喜びから一夜明け、何事もない暮らしに戻った。

ウチは土曜日にはマクド、日曜日にはモスバーガーで昼飯を持ち帰るのだが、モスバーガーで以前はセット2人前を親父の分と一緒に買っていたのが値上げでやたら高くなったのでモスバーガー2個とポテトの大1個を2人で分けて家でコーヒーを淹れるようになった。マクドナルドのセットは相変わらず同じような値段だがモスバーガーは国産なのに高い。

そして今日は割引券を持っているのでハンバーガー2個とポテトをハンバーガー1個とポテトの金額で買えてしまうのだが、個人的な貯金目標を達成したのと買い物の楽しさを思い出したので特にコスパの悪いオニオンフライを注文した。客にとってはコスパの悪い商品でも、店にとっては儲かる商品というものがある。それを頼むといつも暗い顔の店員さんの表情に笑顔が戻ったような気がした。

持ち帰りの待ち時間に新聞を読む。読売新聞のコラムだ。経済学と国際政治の両面から貿易についての話が書かれていた。読み切る前に注文した商品を受け取ったので感想は控えめにしておくが、控えめに言って新聞にもたまには良いこと書いてあるじゃねぇか。

昭和時代の恋愛結婚ってどのくらい相思相愛だったの?

結婚と女性の社会進出について、わりと単純明快な答えを見出した。

昭和の男性出稼ぎ型社会において女性は生きるためには男からカネをもらわないといけなかったので、相思相愛で結婚する人と生きるために男性を選んだ女性に合意した男性がいて、これが相思相愛かどうかはちょっと分からないが、悪く言うのも何なので長いけどそのままにしておく。男は働いてカネがあれば余った女性とひっつけた。

しかし、単純に金のある男50%とカネのない女50%ならマッチング率100%だが、男女の社会進出が半々になるとカネのある男25%カネのない男25%カネのある女25%カネのない女25%になり、さらにそのうちカネのある男と女の半々くらいが結婚して、カネのある男とカネのない女の半々くらい結婚して、カネのない男がのたれ死んでカネあるけど結婚しない女もカネがないけどカネのある男を獲得できない女も出てくるわけだ。

そうすると自由恋愛で男女平等だと結婚率が75%とか50%になるのは自然なこと。

女性にとっては嫌な男をだまして我慢するより仕事があるほうが幸福かもだが、結婚できなかったら子孫は残らないので、それを自由な人生と自分の意志でトレードしたので無いならば厳しい社会になってしまったわけだ。

自由恋愛は男がみんなカネを持っていて女が欲しくて強い女から順番に好きな男を選べるというシステムだったのではないだろうか。動物行動学からメスがオスを選ぶというのは恐らく間違いで、社会の仕組みが男性出稼ぎ型だったからそう収まっていた、が今更ながらの正解だと思う。

蛇足になるが、カネのない男とカネのない女の交配と生計の立て方みたいなことに俺はすごく興味がある。それは本当に自由恋愛だと思うんだよな。貧乏夫婦は羨ましい。

レイストームをエミュで遊んでみた

レイストームとは1996年にタイトーから発売されたゲーム。

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前作レイフォース格闘ゲームで売れ行きの伸びたゲーメストアンケートで極上パロディウスにシューティング大賞を奪われて各方面のマニアから惜しまれたゲーム。

けどまあ、2018年の暮れにあらためて見るとゲームと言うかハイスペック機のデモみたいに見えてしまった。新しい基盤ではこんなことが出来ますよーみたいな。友達で喜んでいたやつに「いやレイフォース知らないの?」と言ったら「こっちのがええって」と言って別の友だちが「シルフィードやん!」とゲーセンで画面を見ながら談義した。

さらに別の友だちから最近メールが良く来るのだが「さいきんゲーム買わないの?」言われてマジコンやエミュレータの味を覚えたらお金払う気にならないという話をした。

なんというか、そういう話をすると著作権がどうこうという正義な立ち位置からツッコミが入りそうで、いや俺も若い頃は法律は守るべきと思ってたけど色々とグレーなことブラックなことを経験して、ふと中学高校の時にいじめられている同級生の仲裁に入れなかった意気地なし正義感野郎だったことを思い出したんだよね。

法の行使は強いものと弱い者のバランスを取るためにあるべきで、そのためには強い力が必要で、強い力をもってなお中庸を重んじれるほど立派な人間というのはなかなか居ないもので。居ないわけではないと思うけど、世界中のバランスをその人々だけで取れるほど監視が行き届いているわけでもないというか。

キャラマンのあきまん先生が「アドバイス罪」といってアドバイスをする人間はアドバイスをしているやさしい自分に陶酔したいだけの自己満野郎なのでブロックすると言ってて、変わった人だなと思っていたけど、正義の味方みたいなこと言うやつでも農作業とかするわけでなく弱そうなやつがさらに弱いものをいじめている時に勝てるケンカの口実として中庸とか正義を振りかざしているだけであって、勝ち目の薄い立場に立たされてみると正義のフィルタで保護されていた手段のキーロックが外れて強くなったように錯覚してるだけなのかもな。

物理的な攻撃に対するカウンターとしては正当防衛が認められるが、ゲームが欲しい買うカネがない我慢するというケースでコピーするのは正当防衛的でもカネは持ってるけどコピーできるから他のことにお金を使ってゲームはコピーで済ませるってのはな。

ただ、それが払うか諦めるかの選択を迫られた時に自分で作るという方向に舵切りした身としては、作って売って儲けたカネを生活費に回すと人様の作ったゲームを買うお金はやっぱり惜しい。レイストームのコピーを作って売ったわけでなく自分の趣味として同等品を持って正規品は買わないってか、デジタルの著作権がネットの情報流通のコストを上げるレガシーな既得権益になっているだけで、そこに作ることでなくカネで買うことが正義だって方向から切り込まれてもなんかピンと来ないと言うか。

というか、ゲームボーイアドバンスファミコンミニゼルダの伝説」が発売された時に俺は喜んで買って、レイストームも1500円のダブルシューティングが発売された時にプレスト用を一度買っているんだけど、それが創価学会の人が家に押しかけてきた時に借りパクされて帰ってこず、一度買って人のせいで手元からなくなったものをもう一度自分でお金を出して買うのが惜しいという気持ちがある。彼らは「こんなに持ってて遊ばへんねんからいいやん」という論理で俺のマンションからプレステのゲームとノートパソコン1台とデジカメひとつを持っていって、さらに困った時にカネまで貸してくれと来てから「いい加減にしろ!」と怒ると「昔家に泊めたったやん」とまあ、一宿一飯の恩を売ってくるわけである。だから俺はエミュで遊んでいるのが不法行為だと言われると、その「おまわりさんコイツです」みたいな元気を創価学会を何とかするのに回して欲しいと思うんだけど、まあその話は置いておいて。

確かにレイストームは面白かったけど、どうせお金を使うなら既に出来上がっていて売りに出ているだけのソフトより新しいものにお金を使いたい。ファミコンミニゼルダの時はこんなに小さくなったんだと喜んで任天堂にお金を払ったけど、ソフトはほとんど改変されずハードの進化で小さくなったのだからシャープとか富士通に投資するほうが正しい。そしてファミコンミニは2000円だったがスイッチのゼルダが出た時に机においてあるファミコンミニを見てこれが2000円札だったらスイッチのゼルダ買うのになと思ったものである。

まあ、買うのが惜しいと思うのは一度買ったこと以外に既にワンコインクリアしているゲームだからゲーセンで1度遊べば100円で済むものを500円で買いたくないみたいのもある。

そこで、エミュで動かしてアケコンを繋がずにZXキーとカーソルキーで右手と左手をひっくり返して遊ぶことにした。最初は1面で死に、2度目は2面まで進む。これでもう一度レイストームを楽しく遊べる。そうして遊ぶことを考えると、市販のレイストームとは別物ということになるので、これはこれで良しとする。

エミュで遊ぶのは悪いことかも知れない。俺は多少は悪いやつである自覚がある。しかしもっと大悪があるはずで、先にそっちを討ってくれ。

ハァ、ハァ、なんか興奮して長くなってしまった。


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