今日のカプエス2(ブロッキングのザンギエフはじめました)

「全国大会で優勝したい」という夢が無いわけではないが、地方予選を抜けて会場に入ったり、日米戦で旅行のどさくさに紛れて日本代表になったりしてみてから、何かこう自分の思っていたことと現実になりかけていることのギャップを感じていた。

簡単な話、俺んちの家族とか友達付き合いの問題を大会に乗せてたんだよな。

俺が幼稚園の頃は家族仲が良かったが、俺が中途半端に小学校の成績を取ってきたばかりに親が受験に夢中で成績以外の評価軸がなくなり「お兄ちゃんは受験生だから」を母親がいつも他の家族の不満を収めるのに切り出すので、兄弟仲も悪くなっていた。

しかしその裏で俺は勉強に行き詰まり、帰り道に寄るゲーセンでのストリートファイターだけが楽しみになっていた。そのことは家族とは無関係だと思っていたが、やり込み続けて自分の特技はそれしかないと思い込んだ結果、全国大会優勝くらいの看板を背負わないと親や家族に説明がつかないと考えるようになった。

だが、両親はどちらかというとゲームは受験や会社づとめの憂さ晴らしでパチンコのように暗幕の了解を得たものではあるが、お金の無駄遣いだからやめて欲しいと思っていたようだし、姉は俺が就職してから家族公認で家でゲームをするようになったアケコンのレバガチャの音がうるさいからやめてほしいと思っていたようだ。

母親は出ていったし、姉も結婚した、弟は上京した。親父は優しくなった。ゲームは大会をYouTubeなどで観戦することもあるが、基本自室でPS2でタダで続けている。そんな俺が求めているものは学校や会社の帰り道に寄ったゲーセンでの気楽な人間関係なんだろうなと思う。

いや人間関係とかって言うけど今は家でプレステなんでしょと突っ込まれるかもしれないが、俺が何をやっているのかということと昔からの人間関係のしがらみは切り離せるものでもなく、自分が思い描いている登場人物ひとりひとりと円滑にやりながら、それで自分が勝って皆が納得してくれる形、それに自分が遊んで面白いか。

そのへんを合わせていくとブロッキングザンギエフなら文句なしだなと。

昨日のカープ阪神が5対0の9回裏に1点取り返して矢野監督が人差し指を高く突き上げて、そのまま5対1で終わった試合。色々な野球があるもんだなと思って見ていた。

俺だって巨人軍くらい強くなりたいと思ってないと言ったら嘘になるけど、阪神のホームゲームなのにカープのファンで真っ赤になったスタンドで相手に勝たせて1点だけ美味しいところを取る、そういうゲームもあるかもしれないし、考えすぎかもしれないし。

俺は「つたんまにっき」というボンクラサイトの管理者でした

高校くらいまで俺は人から「アホ」と言われても笑って返せる性格だった。

誰がどう言おうと成績の良い進学校に通っているし、自分は賢いと思っていたから。

高校卒業後に国公立に行けなかった俺はフリータになり将来は家業を継げるから学歴はいらないんじゃないかとも友人から思われていたが、趣味でコンピュータゲームが好きな割にマイコンを持っていたなかったので小さな東大阪のコンピュータ専門学校に成績優秀の特待生として授業料免除で入学した。タダなら良いと思ったからだ。

ところが、社会人になってから3年後に派遣社員として働いていた会社から正社員登用されずに別の会社へと出向を促されてから、法律的にはグレーな再面接を何度も受けた。パソナなどの大手派遣会社は軽作業などを人数で勘定して、何人いくらで会社が臨時増員できる人身売買制度だから面接などは無いのだが、自分の場合は中途採用と同じように面接を受けてから会社に派遣社員としてよそ者扱いで席をもらって働いた。

便利だったんだと思う。会社の固定化した人間関係に就職氷河期だった昭和53年組。ちょうど平社員が係長くらいになる年に平社員のなり手がおらず、そこへアルバイトや派遣社員を会社が使い始めて、いわば都合の良い負け役としての需要があったのだ。

そこへきて専門卒という学歴は格好の餌食となった。正社員が自尊心を満たすのに必要な期間だけお金で臨時で雇えて学歴は自分より低い。こんな都合の良い負け役がいるのか。とてもみじめになった俺はそれから誰かに「アホ」と言われると本当に心の奥から腹立たしく、学校の勉強はできても社会の仕組みを知らなかった本当のアホだという自覚が生まれ始めて、一番ひどい時には手を上げて警察沙汰になってしまった。留置場の弁当を1食だけ食べた。

それでアホとかボンクラという言葉に必要以上に過敏になった俺だが、最近では昔の自分を振り返ると本当にボンクラだと思い返すことがたくさんある。

ごくごく普通に嫁に入った女が姑に家の中でこき使われているのに外に出てみると姑のばらまいた噂話で出来ない嫁とされていて近所付き合いの輪の中にも入れてもらえない、みたいな基本的ないじめの構造の中に自分が巻き込まれていたのが分かったから。

派遣社員時代の唯一の趣味だったストリートファイターでも、地下の暗いゲーセンにゾロゾロと入っていってそこで人垣に囲まれてその中の試合で勝って、大会などの時にはトーナメントのくじ引きで不利キャラに潰されて、自分の使っていたキャラで自分と同じ動きの別の人間がスーパースターとして脚光を浴びる。何故その動きが同じなのかというと、当時は上手いやつの行き着く結論は誰しも同じになるものだと理解しようとしていたが、実は地下のゲーセンにゾロゾロ入っていく人垣はみな大会関係者で、その地下トーナメントで自分たちで囲った中で狙いの人物である俺がギャラリー受けの良いバグ技混じりの新しいプレイを見せてしまうという手筈だったのだ。

それがどういうコマンドでプレイできるかという事は翌日に俺がブログ「つたんまにっき」で「地下トーナメントでこんな技を決めた」という解説を書くものだから、読んでその通りにすれば良い。なんて都合の良いウェブサイトだったのだろう。地下ゲーマーはみんな知っていたからアクセス数が伸びて俺は有名ブロガーになったつもりだったが利用されていただけだったのだ。

まあ、過去の話はそれくらいにする。振り返って悔しがっても過去は変わらないし、今後のことを考えるとあんなにやったのにという後悔でズルズル格闘ゲームの世界に未練を持ってしても戦果を得ることは難しそうだからだ。

それよりは、専門学校なら特待生で授業料免除だったから、もういちど勉強して大学の授業料免除を社会人入試でも出来るところを探し始めた。だいたい私学になる。学科も限られる。新しい目標が出来ると人間前向きになれる。

それから、また「アホ」とか「ボンクラ」という言葉を耳にしても聞き流せるようになった。昔のように笑い飛ばせるようになるにはもうちょっと勉強が必要かな。

ナノブロックで柴犬を組んでみた

柴犬!

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近頃とてもグロッキーになっている。

それもナーバスな、つまり日本語でいうと神経質な問題で過去の人間関係を思い出して疲れる感じ。

もともと俺はひとり遊びが好きな性質で趣味だと公言している格闘ゲームもカードゲームもひとりで延々遊べる性格なのだ。

そのため人より詳しくなった結果として対戦において好成績を修めたこともあるが、最初からそうしようと思って狙ったことではない。夢中でやっているうちにそうなってしまったのだ。

ところが、近頃はその夢中になれる感覚が無く、他者との比較にさらされて無言の圧力として「勝つまでやれ」と強要されて取り組んでいるような重圧感がある。

楽しいことでも人から押し付けられるとつまらなく感じるものだ。

そこへ来て、ナノブロックは買った時は「作らねばならない」という義務感みたいなもので嫌になって袋に詰めたまま放っていたが、いちど机のマックブックの電源を切り、皿洗いをしてゆっくりとした日を過ごし、よく眠り、今朝になって部屋の片隅に封印されていたナノブロックを見つけた時に「よし組もう!」と思えたのだ。

楽しかった。ひたすら楽しかった。そして組み上げて写真を撮るのもまた楽しい。

なんというか、俺は柴犬を作ってそれで満足な人間なのだが、ネットに組み上がった写真を乗せると「俺は大阪城組んだ」「柴犬とかザコかよ」みたいな疲れるツイートをしてくる人がいて、疲れているという話でしか無いのだ。

疲れない範囲で、また格闘ゲームも遊ぼうと思う。


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