今日のX-MEN VS ストリートファイター(ナッシュ・サイクロプスで66万点)

つい最近まで、格闘ゲームの頂点はストリートファイターIIXだと考えていた。

理由はゲーセンで対戦する時に対戦相手の習熟度が最も高いのがストIIXだから。

ストリートファイターIIからダッシュ、ターボまでは大流行してプレイ人口が多い。

それと比べるとストIIXはマイナーだが基本ルールが同じで批准してレベルも高い。

それだから俺は90年代のゲームはストIIXを主軸として、種々のゲームで勝っていたから、他のゲームは取るに足りなくアツい対戦を求めるものはストIIXに来るべきと論じた。

しかし現実にはプレイステーションセガサターンの登場で、ゲーセンに人が来る理由がなくなり、ゲーセンでストIIXをする人も行き場所のないごくごく少数の世界で、大半の人はゲーセンで人気のない時を見計らってコンピュータと一度遊んでみて面白かったら買う、その噂を聞いて買う、誰かが買っているのを見て買う、ゲームショップのランキングを見て買う、もちろんゲーム雑誌を見て買う、などの購買理由を持っている。

中にはゲーセンで勝つために家で練習するという人もいるのだが、ゲーセン版と家庭用が若干違ってゲーセンでその差分によって負けた場合はあきらめるほうが普通。そこに完全移植を求めてメーカーに訴えかけたり、業務用基盤を買うというのは日本でも数えたほうが早い。

そこで、ゲーセン版と違うのを不完全移植だと考えず、もう1本の新しいゲームであると捉えなおしてX-MEN VS ストリートファイターを遊んでいると、もしかして相手が床波くんくらいしか見つからなかっただけで、ストIIXになされたようにゲーム研究を掘り下げればX-MEN VS ストリートファイターも同程度かそれ以上に腕の差の開く奥の深いゲームなのかもなと思った。たとえ様々の即死コンボがあるとしても、だ。

 

その話はそれはそれとして、今日はひとり用をナッシュ・サイクロプスでクリアした。

俺のストIIシリーズの研究は数値シミュレーション以前に数万回に及ぶ経験則から「自分がこうして相手がこうするとどうなる」という短期的な先読みの得失点差をゲームをすることなく頭で考えてその通りになるというところが礎となっている。

そして個々の判断を経験から数値シミュレーションに置き換えて、ゲーム理論にまとめた結果としてジャンケンのように互いの意思決定の掛け合わせに論理的最善手は無いとしているが、相手がミニマックスやマキシマックスという基本的なゲーム理論で挑んでくる場合、ミニマックスならガン待ちになるので弾を適度に撃てばよく、マキシマックスなら飛び込んでくるのでガン待ちすれば良い。

それらはある1手に賭け続けるだけでは勝てないジャンケンのような要素があると互いに理解して初めて勝負になるのであるが、得失点差で考えず成否で考えている相手なら、安い技をわざと食らってご褒美を与えてそれに執着させ、負けるまでのどこかで裏切ってより高いダメージを与えるという算段もあり得る話である。そうなると1試合だけでなく長期戦も視野に入れたプランニングになってくるのだが、そういう研究は俺は今の所していない。

わざと食らってご褒美を与えて裏切る戦略なら、下手と思わせてわざと食らわせてから相手が次を返そうと待ち構えても餌を食い逃げてそのラウンドを取るという作戦でも勝てる。

そうなると、待ち合いを制する弾ジャンケンの勝者が即ちゲームの勝者となる。

 

X-MEN VS ストリートファイターもストIIXを土台に作られたゲームなので同じ理屈で勝敗が決まる。俺は当時はエリアルレイブで上手を取るXスト勢にリュウケンで波動昇竜で戦い「そんなんで勝てるわけがない」と笑う相手を数多く負かした。

サターン版を持ってからは、さらにその戦略の上にコンボ威力も備えたいとは思うものの、相手があぼーんな確定反撃を漏らした時に反撃で勝つのは必定だとしても、待っている相手にコンボの始動技を当てるにはどうすれば良いかはまだ見えない。

そりゃボコッと食らうコンピュータ相手にコンボを決めて強いと思いこんでいる相手なら波動昇竜だけでも勝負になるわけで、その延長でゲームを研究するとエリアルレイブを食らう要素はどんどん無くなるわけだが。それでも、試合を続けているとこのゲームは99秒のカウントがやや長く、削り合いになった時に何かのミスでコンボをもらう契機は有り得るし、その瞬間にコンボミスが無ければ試合はひっくり返る。

立ち回りにミスが有り得ると、コンボにもミスが有り得るということで、これはちょうど餓狼伝説スペシャルでリードしたほうがライン待ちをした時にライン返しか逃げライン移動をミスするまで諦めるべきではないという論理ととても似ており、一触即発の緊張感を保っているのは張り詰めたプレイの正確さが条件であることから、つまり腕の差が出るゲームであると考えられる。

子供の時に「十五少年漂流記」は読んだはずだが

内容はあまり覚えていない。代わりにジブリアニメなどはよく覚えている。

となりのトトロで田舎暮らしを、天空の城ラピュタで冒険譚を見せてもらった。

監督の宮崎駿さんのインタビューなどで「子供に安心して見せられるアニメを」というのがあったのも印象深い。高校の頃に同級生のアニオタが「ママは小学四年生」とか「くりぃむれもん」などを見て「ええやろ、ええやろ」とか言っていて、つまり子供に安心して見せられないのは戦争やグロテスクでなくエロチシズムであって、アニメーターの仕事のうちには裸婦画の描写なども含まれたのかも知れない。

だが、その話は少し脇にどかして、栄養のある食事や火の起こし方を子供に教えるという意味で、それが役に立つかと言うと、栄養面では俺は主に乳製品と米で出来ている。甘いコーヒー牛乳が大好きで「あんなものコーヒーなど大して入っておらずカラメルで色を付けた砂糖ミルクだ」と批判する大人がいるものだが、栄養のあるものを美味しく飲ませるという意味ではジブリアニメより雪印の仕事によるものだろうな。

火の起こし方という意味では、縄文式など知識として知りながら、ライターを携行していたが、ライターを携行している小学生というのは田舎町でも悪ガキに分類される。かんしゃく玉や爆竹は当時のおもちゃ屋で20円から30円で売られていて、俺は親父に殴られて育てられたので、常に反撃を企んだ。ゴム式のパチンコで石を飛ばしたり爆竹を仕掛けたりと武器になるものを必死で探し、親父が倉庫から裏庭に毎日通る道に車ででかけた後に落とし穴を彫り始めて、その深さは子供だしせいぜいくぼみ程度の10数センチであったが、帰ってきた親父は荷物を手に持ってそこで見事に転び怪我をした。はたしてバズーは家族にいて安心できる子供なのであろうか。

そういう宮崎先生は、結局の所自分の仕事である絵描きの仕事や映写機の仕組みなど仕事に関することは隠して、映画を作って興行収入から給料を分けてもらって生きている。現代社会で本当に食っていくためには田舎サバイバルではなくお金の稼ぎ方のほうが重要なファクターだと考える人のほうが多い。漂流記がそうであるように、田舎サバイバル術というのは既に情報化して読み物として売ることで版権で儲けるためのものなのである。

人を騙すために絶対条件は言葉巧みであることでなく、当人が何かに騙されていることだと俺は考えている。恐らく、宮崎先生にも映画を見る子供を騙すという意図がはじめからあるわけでなく「子供に教えてあげたいこと」で「学校では教えてくれないこと」を真剣に考えながら、自身はアニメーターとして配給会社などに騙されているのだ。騙されているから、真剣に子供を騙すことが出来る。あるいは俺は恨めしく思っているのだろうか。

最近、夜8時に寝て朝4時に起きている

俺は自活できない男である。

23歳で家を出てマンションに住んだが、そこから3年くらいして自殺未遂、記憶喪失、浮浪生活を経て親父に引き取られ精神病院に入院し、退院して15年くらい経つ。

退院してからは自宅療養と派遣プログラマの仕事で治って働いてはおかしくなりを繰り返し、やがて国の補助制度があることを知り、そこから2年ほど引きこもっている。

 

退院してからつい先日まで、家の電子レンジがおかしいと俺は思っていた。タイマーが壊れていて、10秒から0秒までのカウントが9と8の間と8と7の間でズレており、8がすぐ終わるから温め時間にムラがあると親父に話した。親父は「そんなことはない」という。俺は親父の体内時計が不正確なのだと思っていた。

それが、今朝は電子レンジが治ったと思うようになった。8秒も7秒も自分から見て正確にカウントされている。この現象はこうも捉えられる。「認知の歪みで時計の秒が狂ったように思えていただけで、おくすりを飲んで病気が良くなり電子レンジと体内時計が合うようになった」ということかもしれない。

 

記憶喪失の分の25歳から26歳の記憶はかなり取り戻したと思う。なにぶん15年も前なので病気でなくても覚えていないことがあるのは当然だが、仕事を休んでラグナロクオンラインというネットゲームにハマり、レベル85くらいまで貯金を崩してマンションの部屋にこもってゲームをしては近くのコンビニやスーパーまでメシだけ買いに行く。

そんな時期があったはずで、そこから貯金が底をついて復職を試みるが周囲の人とうまく行かず天気予報を見て傘を持たずに家を出たが突然の大雨に打たれびしょ濡れで会社に着いたところでエレベータの中で俺だけびしょ濡れ、周りは不審がるという状況にも会った。突然の雨だと思って空を見たら晴れており、放水シャワーのようなものと人影がチラッと見えて「しまった!」と上で声がしたと思うのだが「誰もそんなことするわけがない」と笑われてそのままである。また、地下鉄御堂筋線淀屋橋近辺が工事されて、マンションから徒歩でキャノンシステムソリューションズのあるビルまで歩いていたが、工事で景色が変わって迷子になったことなども思い出した。

その前に俺はキャバクラで働く女の子とプライベートで付き合いだしたのだが、俺が定時勤務で、寝ていたら深夜2時3時にその子から電話がかかってきて起こされる、というようなことがあって睡眠不足で相当なストレスを抱えていた。

さらにその前には強引な勧誘で創価学会に入れられており、夜中電話がかかって起こされた時に翌日大事な会議で俺は夜中にブチ切れてひとりの部屋で創価学会日蓮曼荼羅の入った仏壇を「どこが願いが叶うんじゃ!」と暴れてボコボコに破壊して、中の曼荼羅を破いてゴミに捨てた。

その事は創価学会の幹部の人に「やっちゃいました」と電話したのだが、その人はゴミ処理場などを探すのに俺を連れて動き回り「もうどこにもないね」と言った。

考えれば、あのあと俺は噂話で殺人冤罪をされていたのだろうと思う。どこへ行っても悪い噂で人の輪に入れなくなり、仕事にも行けなくなって、それとネットゲーのどっちが先でどっちが後かはまだハッキリしないが、マンションで貯金を崩してゲームをしていたせいで家賃やローンが滞り、家に帰る前には銀行預金を自動引落されないように現金で部屋に置いておき、新聞受けには滞納のチラシがたまっていた。

 

近頃、心がけていることといえば左手首の運動である。俺は子供の時に左手で箸を持って親に注意され、右利きに矯正されたので、多分生まれつきは左利きで訓練で右利きになっていると自分で考えているので、左手をいつからか鍛えだして、それで自分には矯正されている以上のポテンシャルが引き出せるのではないかと夢見ていた。これも、まあ右利き人生に対する現実逃避のようなものかもだが、左手のほうが鍛えると器用になる部分もあって、しかしゲーセンでのストリートファイターIIの左レバーの癖が体からなかなか抜けず、そのフォームの変化で肩こりが治り、難聴の右耳にヘッドホンから音楽が右から聴こえる時が出てきて、病気だと言われている右耳からの幻聴がやわらいだ。電子レンジの時計が治ったように思えるのも、俺の認知の歪みが治ったのかと思った。

 

浮浪から自宅に帰って、それから入院までの間に親父と弟のいる家で過ごした時期もあるように思うんだが、そのへんもまだ記憶の順序がしっかりしない。弟が高校の時に俺が家を出て、そのマンションの保証人は母親なのだが、俺のマンションの契約書の家賃を見た母親が家のカネを持って別の男とアパートを買って暮らしだしたのだ。親父は俺が帰ってくるまで母親が俺と一緒にカネを持って出て住んでいると考えていたようで「ママはどこだ?」と俺に枝刈りばさみを持って脅してきた。

 

思い出すほどに嫌になる記憶で、入院前の俺は恨みつらみの感情に満ち溢れていたが、おくすりも効いて、よくある精神安定本に「感謝を持つこと」とあるので、あれはごく一般論で怒りや恨みも俺は時には必要な感情だと今では思っているが、周りから人が逃げると感情は何にぶつけてよいか分からないので、今はそのこじれて取ってつけたような感謝がいつしかおくすりもあって生まれたことへの感謝のようになって、俺を罠にはめた人がいるとか、育ちに問題があったみたいいなことはあまり考えない。

 

子供の頃に親にねだって買ってもらえなかった記憶があるものや人に盗られたものもヤフオク自分で買って部屋に置くことで、そんな辛い記憶のことは思い出さず、ずっと持っていたかのような安心感に満たされることもある。

 

この記事を書いているのは、そういう取って付けた安心感に安住することへの疑念がまだ俺の中のどこかに眠っていることは隠せないということだ。

親父も昔の話は嫌がることがあるし、今は食事や洗濯などの面倒を見てくれる優しい父親ではある。嫌味は時々あるが、真っ赤になって怒鳴ったり酒を飲んで殴ったりする怖い父親は恐怖を伴ってでなく、無くなった過去として映像的にテレビの中だからホラーでも怖くない人みたいに思い出せる。

思い出すだけで怖かったということを、感情を伴ってでなくエピソード記憶として覚えている。

 

人間、40代を超えると脳内物質の分泌回路が組み変わるという研究もあるらしい。そのせいなのか、精神安定剤のせいなのかは俺は知らないが。思い出すことへの恐怖感みたいなものも無いので、怖がらずに思い出してみるということをしている。


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