俺がブログをはじめたのは家庭不和で友人関係のほうは良好であったとき、友人みんなと個別にやりとりするよりネットを使うほうが便利だと思ったからだ。まだブログサービスもSNSもなくHTMLを手打ちしてウェブ日記として公開していた。
まあ、最近ジオシティーズがサービス終了したが俺のウェブ日記もプロバイダのレンタルサーバーのサービス終了で無くなった。一部は自宅のパソコンのHDDに残っていたがそれも故障で取り出せなくなった。
俺はこっそり風俗で性欲処理をしていたことを含めてありとあらゆる事をブログで明け透けにしていた。ピン芸人「ヒロシ」のような自虐に憐れみと失笑を買うような芸風であったが、匿名だったし表立ってはスーツを着てそこそこ立派に見ている人もいただろう。
見たくれが立派で収入も合ったが内面は破綻していた。破綻しているのは矛盾があるからだ。ネットに全てを明け透けにすることで、それらを読んで自己矛盾を指摘してくれる人達がいた。人に気を使う、人に良くするということが善だと思っていた俺は都会で詐欺に遭う。詐欺なのは半分くらい知っていた。好奇心でどうして詐欺とバレバレなのに成り立っているのか、商品自体は価値の測り辛い絵画で、買うとパーティに招待されるらしい。ネットには買った絵画をヤフオクに出した時に実売価格が店売り価格に遠く及ばないことが詐欺の根拠だったが、買ってみた人のパーティの体験談は無かった。
新元号を書いたのは誰かがテレビで噂になっても明かされないように、世の中には秘匿されているものがある。ジャーナリストとしてはそれを明かしたい。しかしそれで成り立っている業界の関係者はもちろん秘匿する。全てを明かして無矛盾になれば世界は理想郷になるというようなことを過去には考えていた。
しかし、学校の社会科と理科レベルのことをくまなく理解できれば、世の中に秘密が無くなっても生命は神秘のままだし、農業や牧畜とか建築に紡績などの仕事は無くなりようがないし、それらが機械で自動化されても結局は機械を作る仕事と燃料を調達する仕事など新しい仕事が出来てくる。物理学のエネルギー保存の法則とか化学の質量保存の法則みたいに世界の物理的な人間の仕事量も何か形が変わるだけで保存されるのではないかというようなことを考えるようになった。
特に第一次産業レベルでそれは顕著だが、例えばファッションデザインみたいな仕事でもやり方が全て明かされると意味がなくなるということもある。文化を文化足らしめているのは秘匿された個性の醸成に由来する。
元号を決めるとき一般に多数決的に予測されているものは避けるという条項があったが、これもまさにそれだろう。
俺はブログは続けるが、ほんの少しでいいから秘密を作ってそれを隠しながら生きなければならないと考えるように変わってきた。過去の俺の考え方や作って発表したものはもう俺のものではなくネットによってありふれたものに変わってしまった。
変人だという自覚があった俺は今になると案外普通のやつである。俺が普通に寄るのと俺が俺を発表することで普通のほうが俺に寄ったのと両面で、いまちょうど普通のやつだ。それは古き良きアメリカのスタンダードである。工業化社会で量産されたアメリカの普通。それを真似た日本の普通。工業化されたインスタント食品とチェーンやフランチャイズで展開されたジャンクフードを食って服はユニクロなどの量販ブランドを来ている。ギターはストラトサンバースト、パソコンはマック。ケータイだけは富士通というのがスタンダードから外れているが、スマホの類に含まれるしどこのショップでも売られていた量販モデルだ。貯金の額なども毎年統計を見て、平均より少ないと思ったら節約して貯めてきた。
ただし、身体的特徴として俺は普通より背が高い。顔はややブサメンである。背の高さと顔の悪さをトレードオフとすると普通のにーちゃんなのだ。
当面の課題はそれでも精神性がまだ普通とは言えないところだ。普通を目指しているのは包括的に普通を理解した超越者の視点を備えたいと考えているからだろう。それはもしかしたら俺がシンガーソングライターとして普通の人にウケるキャッチーなフレーズを描きたいと過去に思ってきた因果としての現在であるのかもしれない。