右か左かでなく共有という概念が理解できない人がいるのだが

久々にモンハンを遊んだ。今流行りのPS4MHWアイスボーンでなくMHXである。

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MHXが出た頃には俺はカプコンの株主であった。そして、ゲーセンで遊んだかつての格闘ゲーマーは皆友達であって、友達同士でカプコンの株を買い、みんなでモンハンを流行らせればみんな儲かるのではないかと企てた。

だが「そんな大金無いからつまらんゲームやってるんやぞ」という人、「株で儲かるっても100万円が110万円になるくらいのことでしょ?」という人、そしてブログで株を買ったことも公にすると、大バッシングを受けてカプコンの株価は一度落ち込んだ。

株で勝つためには株が上がるまで持ち合いで波打っている時に待たなければならない。俺はMHXを買って遊んだ時にまるでハイパーストIIのような焼き直しゲーを売りつけられた気分がして「カプコンってメーカーはホンマにやる気あんのかいな」と思って売ることにした。

俺が売ってから、安くなった株を買い戻そうとした時に、また友達を裏切ることが無いようにと寿司を食いながら「株を買わないか」と持ちかけた。しかし、そんなことを言うとセールスマンのようであり、友達は怖がって「買わん」と言った。

久しぶりに連絡した。「いまカプコンの株めっちゃ上がってるよ、あの時買わんって言ったよな、俺も買わんかった。けど、今度はまたもうちょっと少額で出来る投資があるんやけど」「あー、そんな話したっけかな、そうそう、俺が子供の頃におじいちゃんがカプコンの株を買っていてー」考えた。ちょっと待て、持っているのかと。

そうすると、持っていてカプコンのゲームで遊んでいて、俺が買おうと言ったから図星を突かれて驚いて買わんと言った。または逆さ言葉で「買わん」は「買う」を意味する地方の人である。あるいは「裏切られた」こうなると表出する言葉そのものの意味でなく表情読みや性格読みに真偽が懐疑で無限に裏返る。

別の見方もある。俺はカプコンのゲームを面白いと思って遊んでいたが、おもちゃ屋やゲーセンはつまらないゲームこそ大々的に広告して売りつけ、面白いものは内々にする。昔ゲーメストライターの編集後記で「ゲーセンでは格闘ゲームやシューティングをするけど家ではロープレとかシミュレーションをする」という話に、ゲーム業界のゲーセン上がりとパソコン上がりの棲み分け、面白から買ってつまらないから売る、あるいは消費動向が違って1万円するからロープレを買い100円だからシューティングをする。

だが長い目で見ると俺はロープレを買って遊ぶよりもゲーセンで時々遊ぶシューティングのほうが総額で高い値段を払っていて、家だからロープレ、ゲーセンだからシューティングよりも家でシューティングのほうが結局金が貯まるのではないかと考え、そうした。

俺はもともと金持ちのボンだが母親が家の金を持って蒸発してから親父と弟と3人でひたすら貧乏暮らしをして、金銭感覚も性格もかなり変わったと思う。

どうして俺が「すべての人の得になる」という考え方を持っていたかというと、コンピュータのソフトウェアの仕事をしていたからである。

まあハードとソフトが難しくても、ケータイ本体とOSやアプリと言えば分かってもらえると思う。面白いアプリがあればみんなでダウンロードすれば良いということだ。そして職はプログラマーを選んだ。アプリを作る仕事だ。

ゲームが面白い、みんなで遊びたい、それなら玉石混交のゲームソフト産業のなかでアタリショック任天堂ファミコンクソゲー粗製乱造みたいのでなく、良いものを作ってくれるメーカーを選んで株を買い、流通量を上げてみんなで共有すれば社会は良くなると思った。

だが、カプコンのゲームは面白いというとPSPと比べて3DSのモンハンはダメだったとネットでスコボコにされ、株価は下がり、俺は面白いゲームとは何かというのが自分の好みの独断独善でみんなには気に入ってもらえなかったと嘆き、そしてその後に待っていたのはニンテンドースイッチの供給不足とネット転売の増加であった。

そう、ソフトウェアは共有できるけど、それがハードウェアに依存するがゆえのゲーム機、ケータイ、パソコン等の本体の供給不足が起こって、パソコンはまあ大丈夫だが任天堂スイッチとアイフォンの供給が日本中に行き渡るには随分とトラブルが多かった。

まあ、共有という概念が理解できないとタイトルに付けたが、そういう問題ではなく、共有は理解できても共有するためにハードウェアと通信インフラが必要なので、物理的なハードルをクリアするためには日本国民や世界全員が同程度のスペックのコンピュータを持たないといけない。そうでないと理想は実現しない。

もちろん、そうなった後の世界でも問題は色々と山積みであろうと思われるが、理系専攻からコンピュータ専門学校という社会科を取らないで技術者になった俺の理想はそんなもんだった。

それで、機能打った手は銀行並びに証券会社の株式取得という個人投資的な金融緩和だ。スイッチはまだ持ってない、ケータイはアイフォンでなく富士通スマートフォン、そして持ち株は任天堂ソニー、各種ゲーム会社ではなく証券会社。

アイフォンが出る前には俺はIT企業勤務でNECの最高のケータイで電車やタクシーでワンセグを見ていた。ワンセグとはガラケーで見るテレビのことである。

ケータイでテレビを見る技術は日本独自のものであったが、これは面白いと皆に広めようとするとケータイの下請け各社がアップル傘下となり、へっぼい白黒のiPodがいきなりiPhoneに様変わりして世界市場を席巻したのだ。

それでも、当時の理想を曲げないのであれば、みんなが持って、自分が良いものを持てるまで量産を待つしか無い。そのために必死で働いていてくれる人がたくさんいる。俺はブログを書いてテレビを見て、つまらないパソコンゲームをたまに作る程度だが、その生活の普及ですら、既にIT株やテレビの広告商品を買うだけでなく材料調達とかに投資する必要性が出始めている。

もちろん、スイッチを転売する人だって悪者扱いだが生産力を持たず資本も持たず職につくことが出来ないプロレタリアである可能性だって否定できない。買ったなら、開封して遊べと思っても、遊ぶカネがないから金持ちが高値で買うことを見越して問屋ではなく市販価格で仕入れているのだろう。腹立たしさやもどかしさはあるが「みんなの得」はそれくらいの辛坊が出来ないと実現できない理想である。

だんだんと、もうそんな理想どうでも良くなってきている。利己的に生きれば、多分もっと楽なのだろうと思うのだが、自分の理想を捨ててしまうとただ退屈な日々なのである。

子供の時から忙しかった時期なんて思い返しても少しだけだ。だからゲームに興じた。そしてそれが幸福だと思った。その共感を得たかった。それを「皆が幸福に」は言い過ぎだった。


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