どっと疲れた!

昨日のブログにもカルドセプト考えすぎて頭が痛いと書いたが。

今日はドーナツ食ってカプチーノ飲んでゆっくりした。

その前に病院での定期健診は普段より2カ月連続で血圧高め。先月よりは低い。

まあ、高144の低80だったかな。先月は高160くらい出た。それまでは高130低60。

どういう意味があるのかはよく知らんが、いつも血圧は右手で計って採血は左手。

今日の採血は注射がいつもより痛く感じて血の出るペースも速かった。

多分だけど、ギターの練習とかストレッチで神経の通りが良くなったせいもあると思う。

集中して練習した後に二の腕にピリピリした痛みがきたり、ストレッチで血流良くなったり、ただ技術にそのまま響いているかというと技術的な成長は微々たるものだけど。まあ、それ以前にはやってもやっても何も変化を感じないスランプの時期があったので、ちょっとでも伸びを感じ始めたのは実は大きな変化だったりもする。

カードゲームは不思議とやりたくなくなった。カルドセプトガーゴイルが何Gだったか思い出せず確認にDS立ち上げたくらい。あと攻略本を眺めて、カード効果がDSのROMとずれているのではと思うものの確認が面倒で放っているものも。

特に自分の中で変化を感じたのはDSの遊戯王ナイトメアトラパドールで過去の禁止カードも使えるデュエルで、グラフィックスで手札の5枚がカードの効果で増減して、場に出すモンスターと手札を同じ画面で小さく表示して目で手札と場の相関関係を何度も見たことが、空でデッキを考える時に頭の中に小さな画面でカードが山札、手札、戦場、墓地をどう往来するかという絵的な想像に変わり、数学の勉強を志望校レベルから問題集全部履修に変えて、それも参考書のグラフが頭の中に絵的なイメージを作る助けとなって、目的を確率関数にして積分するとかをザックリとグラフで考えて、デッキの回りと相手のデッキとの相性とか全部頭の中で回り出して、ゲームして試したいとかカード繰って遊びたいが布団で天井を見ているようで思いを巡らせるだけで充分になった。

疲れは取れて、夕方にテレビアニメ「半妖の夜叉姫」を見た。前に終わったと思ったらいつの間にか始まってた。ヒロアカと交代なのか。コナンでしんどくなって消した。WANDSだけ聴いた。

あとは月曜日に竹山社長からのせっかくのお仕事の提案だけど断ることに決めた。お医者さんも「それがいいと思います」とのことだしね。コンピュータ技師として中小企業のエースとして頑張ったこともあるけど、大企業からの案件では「中レベル程度の仕事だから」みたいななめられた文言が提案書にあり、ここを安請け合いしてはいけないという気持ちもある。

以前はそれをお金のためだと飲んだけれど、目先のカネに自分を安く売っては人生で稼げる額の目処が立ってしまうし、そのカネで買えるものと今を生きる人生の時間を比べたら、ダメかなというその判断にもトレカや数学は効いていると思う。ただ、まだ仕事であるプログラミングには効かせ切れていないとも思う。プログラムを組むことはともすると、自分の思考を言語化して他者に見えるようにすることでもある。プログラマ同士なら、だが。

そこで、今の自分の思考は他者にプログラムとして簡単に売って良いものかということも併せて考えなければならなくなってきている。以前は自分なんてと思う気持ちや、死んでもコードは残るとか、わけのわからないことも考えたが、今は自分で自分が最高だと思える状態を墓の中まで持って行った方が良いとも思う。

ただ、そこで墓を作って参ってもらえるという永代供養と子孫繁栄というインド哲学ではなく日本の神道と考え方が結びついた日本の仏教についても考えた。墓もいらないという考えもあるが、おそらく俺が生きている間には両親の墓の話を姉弟とすることになるだろう。

秋も過ぎ冬の寒さを夜に感じる。冬の足音には毛布と布団は用意したが、出してきたジャケットが謎の毛玉で汚れていたり、暖かい食事が有り難かったり、とかく当面生きてゆくために冬をどうしのぐかという問題も立ち向かっていかなくてはならない。


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