島国大和のジジイがマインスイーパーで遊んで最後の一手がどうしても判断できない局面を悔しそうなコメントとともにツイートしていた。「なにこのジジイ」と思いながらも、何かは伝えている。奈良の暇人と首都圏のゲームクリエイター。ゲーム業界とはいえ多層的な下請け構造のIT業界から開発者の仕事を大手から請け負うのと、企画者として部署を率いて指示を出すのでは立場や見え方にも違いはあって。仕事を一緒にするなら仲の良いに越したことはないと思うが、甘え合いになって品質が劣化すると商売としては上手くないと来る。
まあ、京都言葉とかもそうなのだが、貴族社会で逆言葉が使われるのは元々お世辞であったり騙しであったりしたものが第三者が学び取るに当たって故事や辞書の意味と現代や過去のあるポイントで逆言葉になっているのをどうやって見抜くかという問題になってくる。
ところで、今日はギャンブルについて必勝法とされるマーチンゲール法を考えてみた。古典的らしいが、俺は先月くらいまでちゃんと知らなかった。中学の同級生で高校進学しなかったやつがやたら金持ちで「魔法の財布が家にある」とか「ギャンブルには必勝法がある」とかわけのわからないことを言って高校行かないのかよと思っていたが、時は流れ大学なんで行かなかったのと言われた俺がギャンブルの必勝法とまともに対峙することとなった。奴はそういえば金は持っていたよな。PCエンジンGTとか10万円だぞ。そういうのを見せびらかしてた。
マーチンゲールは倍々ゲームで最初に掛け値を決めて勝ったらいちど引き、負けると倍賭ける。そうすると倍掛けて帰ってくると負け分を回収して1回勝ちと同じになるので掛け値の元手がある限りどんどん回収率が上がるというもの。勝ったら掛け値を元に戻す。論理的にはおかしいところはないが、100円から始めたとして8連チャンで負ける確率は128分の1でその掛け値も12800円となる。そこで12800円賭けて25600円返ってきても累計25500円賭けているので100円儲かるだけである。
これは少しひねるとこういうことになる。掛け値マックスを最も賭けられるものを親として、128分の127で100円儲かる子と128分の1で12800円儲かる親でミニくじをしているのと同じことなのである。競馬にしてもそうであろう。万馬券は100円が1万円に成るが、万馬券が出ると他の全ての馬券分は競馬場の100円勝ち。総計するとなかなかの額だ。対して自らカジノに赴いてマーチンゲールで賭けていたら競馬を100円づつ1等馬にかけるのと同じで、少しづつ儲かる確率もあるが負けると儲けが無しになるのだ。
この方法は詐欺ではないが詐術的要素がある。負けなしではなく確率は微小になってゆくものの最後まで100%にはならず半々にはなるものの負け確率が残る。そして常に大きな確率で100円を儲けるか、その対偶に相手が勝って全て負ける確率が潜むのだ。99%儲かるけど100円づつというのと1%の確率で9900円儲かる役を期待値的には等価に役割変更しているのだ。
宝くじなんて買っても当たらないと言う人と、もしかしたら買って当たった人がいる裏で、ほとんどの人は買っても当たらないのだけれど、それでも買っているからくじ売り場にお金が集まって配当金が出せるのだろう。その昔に母親が弟の授業参観で数学の先生に宝くじを買うより競馬でもした方が当たる確率が高いと教わったと喜んでいたが、それも詐術で馬券を買っても1枚100円で配当金は最大でも10万円の10万馬券。それなら宝くじにもミニロトなどが登場して、結局のところ年末ジャンボのように10億円とか競馬でも株でも滅多に当たらない。
結局のところ、確率だけで論理的に宝くじを買うべきか、買わないで現金にしておくべきかは判じることが出来ないのだ。多くの人は確かに当たらないだろうから、買わないほうが良いという教訓はつまらないが財布の300円となる。だが当たる人にしてみたら、運命の転機となるだろう。すすめるわけでも止めるわけでもない。俺から見たら等価交換なのだ。
そういえばマジックザギャザリング界隈での後輩が若手のプロが店を始めたからと車を出してくれて遊びに行った折に俺は見ているだけで一円も使わずにいた。そこにプロショップアデプトに来ていた子供が(生意気してましたけど)「覚えていますよ」と青年になっていて声をかけてくれた。「これは俺たちの宝くじなんですよ」と言っていた。先輩からは「当てもんのゲームにファンタジーの夢を見すぎなんじゃないか」とも言われた。
ヤフオクを見ているとハズレくじにも値段が付くらしい。俺も昔に外れた宝くじを引き出しにしまっておいたらそのうち資料価値とか出て売れないかなとか思ってしまっている。
そういえば子供の頃に親父が連れて行ってくれたレンタルビデオ店の隅でポーカーゲームをしてダブルアップを何度か勝ったなぁ。あの時は親父が「うちの子は天才や」と喜んでくれた。絵を描いた時も上手いと褒めてくれた。ただし学校のテストだけはな、95点でも「文房具屋の子供が勉強負けてどうすんねん!お前は100点取らないとアカンのや!もっと勉強せい!」と来て。いつからか親の言うこと無視してゲーセンに溜まるようになったよね。