泥棒とまでは言わないものの「熟れたものを食う」人々

 「社会の役に立ちたい」と勉学に励む若者を見ると頼もしい感じはするが、人の役に立つということと人から利用されるということの線引きは引いた目で境界を探るとグラデーションだとしても、両極になると白黒ハッキリしているものだと思う。

 悪人とまでは咎めないのは人はなるべく楽をしたいと思うが故に将来の楽のためと今の努力に励むような所があるからだ。多かれ少なかれ、後がラクというのは動機としてあると思う。そうすると後から差がつくと思うとラクがしたい人間からは頑張る奴が憎いのだ。

 その意味で俺は中途半端なところにいる。普通で良いと思うのは、突出すると足を引っ張られるという危機意識からの潜伏行為であったが、それでもどこかで能力を見せつけ「能ある鷹は爪を隠す」を実行するために爪を研ぎ、機会を待っているつもりであった。

 しかし世の中にはもっと爪を研ぎ、もっと隠すのが上手な人間がいるものだ。人生でそういう人に「してやられた」と思ったことが幾度かある。

 だがまあ、それらの論点は人と比べてどちらがよく見えたかという視座に立ってのものなので、社会の役に立つ仕事という意味では産業従事者などはまさにそうで、北海道産のジャガイモと鹿児島産のサツマイモがどちらが優れているかという比較はあまり意味を成さないし、俺もあまり人の役に立っていないから負け役でグループの機嫌を取るようなことで役に立った気でいたのだろう。

 全世界的で普遍的な善というものが果たしてあるかというテーマから自分の属する組織を内外に分けて内的利得を善とする、そうしないと世界把握だけで仕事が終わってしまう。そんな風に身内びいきな善なら、自分でも出来そうだなと思うと幾分か楽になった。八方美人にするより、外から憎まれることも受け入れることで守るべきものが見える。

 鷹とて餌のために爪を隠すわけで「能ある鷹は爪を隠す」よりも「衣食足りて礼節を知る」の方が人間社会で暮らす上では基本的なことなのだ。衣食、足りてねーから。


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