そういえば自然に辞めたこと

 QMAもランクが上がってくると負けが込んでなぜ辞めたのか思い出す。恐らく過去の自分も似たような理由で辞めたのだろう。「もう無理ぽ」と。

 ただしジャンル「学問」については負けてはダメな気がして、過去にいちど挫折してから高卒を返上して中学校の学参のマンガ本から理科と古文と地理を勉強をしなおし、やがて高校の世界史と地理と数学と理科を学び直した。その効果は何年ぶりかのQMAに現れたと思うが、全問正解ではなく正答率が7割になった程度。それでクイックマッチで最初から挑んで、勝ち上がって優等生コンピュータに囲まれスポーツ全問不正解で予選落ちして挫折する。

 ストリートファイター格闘ゲームを辞めて他のことに手を出したが、ゲームのジャンルを変えてもRPGSLGファミコンスーファミ期には何本も解いたが難しくて投げたものをやり直すとその時は「過去に投げたがこれは面白いな」と思い直すのだが、さらにもう1本となると飽きる。シューティングもケイブ系を解けるようになって彩京系からビデオシステムスーファミソニックウイングスまで遡って、実はこの頃に既に飽きていたのではと今は思う。

 ギターの稽古もした。12年続いているが、1日5分の練習でメキメキ上手くなるという教材を信じて、雑誌を取って動画を見て弾き語りをアップロードして視聴者数を気にしていたが、やがて増えるのが止まって忘れられたか飽きられたか、自分も飽きて練習は今は2、3日空くこともあれば5分どころか1分しかしていない時もある。

 今は色々のことを目指す中で折り合いをつけ、自由になった気がする。出来ないことや頑張れないことこそあるものの、それを「しなければならない」という強迫観念のようなものは少ない。なぜなら、勉強やゲームで競った様々の相手と比べたら、自分をマウントしてくる相手の自慢がどこか現実離れして軽い嘘ではないかと見抜けてきたからだ。

 ちょっとギターの話に戻ると、テレビに出ていた清塚信也さんが自慢のしすぎを自嘲的にネタにして、司会者からも笑われているが、実はELTの「いっくん」もほのぼのとした笑われキャラで出演していたし、偶像の究極系であった尾崎豊の変死、ZARD坂井泉水の死、X-JAPANのHIDEの自殺などを思うと、その後のものは羨望と嫉妬を一挙に引き受けるのではなく、どこか受け入れられて生きる道を探して今に至るのだろう。演歌の伴奏に落ち着くのもその中心を老年の演歌歌手が受け持ってくれるからで、五木ひろしって凄い。

 その延長で、俺自身がどう生きていくかというと、既に精神病院の牢獄をいちど経験している。それでも組める相手とか属せる組織を考えたし探したし試した。いっくんが「笑われるなら自分でも出来るかなと思った」というのをQMAでスコボコにされて予選落ちした時に、それでも魔法石は4個もらえて「これでも貯めてやろうかな」という希望が見えた。

 そういえばNHKの朝ドラが新しくなったけど、お父さん出てきてあっという間に消えたね。

 4月2日に手帳に「プーチン支持率80%」と書こうとした%記号が自然に鏡文字だった。ただの書き損じかもしれないが、レオナルドダヴィンチが鏡文字を書いた話を思い出した。ピアノを弾けるようになりたいと思ったきっかけにカッコイイというのもあるし音楽が好きなのもあるけど、ピアノで両手を使うと利き腕と脳の関係で利き手でない手を使うことで脳幹を通して脳の連携が良くなり賢くなる、みたいな説を昔に何かで読んだのも理由だ。「賢くなりたい」と思うのは「賢くない」と思っている自意識の裏返しである。

 賢さと器用さはちょっと違うとは思うが、体の神経の問題とそれを動かす脳の問題は切り分けるのが難しく、体現する賢さとして器用さは必要だと思っている。それで最近はギター以外に左手で歯磨きしてみたりボールペンを左手で回してみたりしていたので、鏡文字が出たのは書くときに一瞬頭が「アレ?」ってなって書き終えた時が反対だった。

 だが、その後にはそんな事はもうない。狙って書く事は出来そうだが。そして美文字DSも途中で辞めたよなと思い出して先日遊んだが、俺に必要なのは自分で読めるのが条件で速記の方が大事だと思っているから崩れるのであって、美文字DSを書道のようにゆっくり書いて綺麗なのは恐らく当たり前で、普段の速さに近づけて書いてペケポンをもらって、この速さで美文字になるまで練習を続けないと身になっているところまで接していないとは思う。近づいてはいても。

 それをさらに考えると「勉強が身になる」というのはテストの点に顕出するよりもっと内在的で、先のことらしい。「将棋が強い」とかも1局の指し手として現れる以前に詰将棋をめちゃくちゃ解いてコンピュータで予習して、他にどんなのがあるのか知らないが、勝負飯だけ真似してもダメだとは思うが、ただまあ、それでも飯を真似たいというのも将棋に強くなりたいという深層心理の現出である。そのさらに奥に「将棋指しは賢い」があり「賢くなりたい」は「賢くない」という自意識なのだ。

 結局はそういう自分の劣等感がどのように醸成され、強烈に「賢くない」と自分で思うようになるに至った過去のトラウマを考えると、まあ親兄弟に意地悪をされ祖父母に甘える家族間の人間関係と、祖父母との死別から後の様々の経験だろう。甘えられるおじいちゃんおばあちゃんを探して甘えることが幼少期からの俺の根本的な考え方で、そして子育てという意味では幼くとも下の兄弟を大事にするように人間には母性に近い幼子を愛でる性質があり、ファミコンゼルダの伝説ドラクエIIIにもっと古いとディグダグのモンスターなど幼顔に見えるものはとにかく愛でてしまうというのがゲーム制作の過程とゲームをして育ったデジタルエイジの研究で分かったらしい。

 テレビゲームでもカードゲームでも人の多いコミュに混ざるとついつい幼く見える人に育てるつもりで入れ知恵をしてしまうのだけれど、それが店からすると金を取る商売の邪魔で「子供は騙して金を取れ」みたいな人との反発が人間関係を悪化させる。

 まだ44歳なので人が育ってどう転ぶか見てきた老人が子供を騙そうとするのを中年が邪魔するとか「おじいちゃんが可愛がるからダメなのよ」みたいな子育て論とか、そう簡単に答えの出る問題ではなく、ママさんに人気の子育て論者はイケメン先生というシンプルな構図。

 そうすると株式チャートを見張るよりも美人の営業ウーマンに騙されて相手の提示する株を素直に買ったりする方が幸福度が高いのかもしれないなとふと思ったところで、ジジイの作家が書いた本の「お金持ちになるには色欲に負けぬこと」という文言とのジレンマが今の俺の一番の悩みどころかもしれん。時代は違うからやり方も違うかもしれないしな。


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