コスティキャンのゲーム論から見る「スパロボ」

俺はドラクエ好きな人とは仲が悪い。

鳥山明のマンガで育ったし、音楽もゲーム性も決して嫌いではないのだが、ドラクエのヒットが後のゲーム業界のロープレゲームの量産を呼びゲームの代名詞であった時代の後ろ暗さから夢の中にいる人に夢から覚めてしまった者として「いつまで寝る気だろう」と思ってしまう。

まあ、かく言う俺ももう何年も眠っているかのように毎晩酒を飲む生活である。最初は酒には堕落への道であるという抵抗感があったのだが、堕ちてしまうとこれがなかなか這い上がれない。そこでまあ、昔に考えたことではあるが最近忘れているので思い出して書きたい。

「ゲームとは何なのか」という論議は古くなったが、それは「コスティキャンのゲーム論」が発表されて、多少の不満は人それぞれあれど、面倒くさい説明をしなくてもリンクを貼り付ければだいたい皆で同じレベルのゲーム観を共有できる意味でウェブ2.0の頃に流行した。知らない人はググると何件か出てくると思うので各自読んで欲しい。

冒頭にドラクエを挙げたが、今日はスパロボスーパーロボット大戦)の話。ゲームシステムは任天堂のヒットゲーム「ファイアーエムブレム」に類するシミュレーションRPGというやつだ。ユニットという将棋の駒のようなキャラを進めて敵のボスを倒す。駒には固有の数値がたくさん付いているが、主に耐久力、移動力、攻撃力、防御力でロープレを踏襲しており、敵のユニットを倒すことで経験値を積んでユニットが成長する。ユニットで将棋のように遊ぶ戦争シミュレーションゲームにロープレが乗っかってシミュレーションRPGというわけだ。

ファミコンでこのジャンルが出た頃に俺は中学生で、メチャメチャハマった。毎日していた。

そしてスーファミ期には仲間内でもこのジャンルがいちばん面白いとさえ考えられていた。

後に俺のライフワークとなる格闘ゲームもこの頃に出て、ゲーセンで格闘ゲームして家に帰ったらスーファミシミュレーションRPGである。

ところが、格闘ゲームに皆が飽きても俺は東京を目指して人間と競い合っていた。

対してファミコンスーファミくらいのスペックでコンピュータとSRPGをすることを俺は簡単に思い始めていた。敵のユニットが散らばって配置されていて、無謀に突っ込むと囲まれてピンチとなるが、敵の縄張りの淵のあたりから防御力の高いユニットなどで数匹づつ釣って、釣られて移動した敵をみんなでボコボコにして育てたいユニットに手柄となる経験値を与える。

この攻略法がシリーズを重ねても大抵ずっと通用するから簡単すぎてつまらないと思った。

それでも、細かく見ていけばシリーズを重ねるとジャンル自体が賑わって面白いものもあるのだろうとは思うのだが、だいたいパソコンゲームでもこの手のジャンルのメーカーが森田将棋の森田和郎さんの会社で固まっていて、氏が亡くなられてジャンル自体が弱まったと思う。

ゲームのルールとなる骨子から量産が始まって、しかし面白い味付けだなと思う作品との出会いは無く、またシミュレーションゲームとしての敵ロジックそれ自体を意地悪く強くする方法ではなく、敵の耐久力を上げるというロープレ的な高難易度化しか施されてこなかった。それは決して難しいとは思えず、ダラダラと時間ばかり食われるようになったと感じたから。

久しぶりに3DSファイアーエムブレムのリメイクを遊んで「やっぱこれくらいのバランスがいちばん面白かったな」と思ってしまったのだ。

遊んでみてつまらないと思った理由を述べるのは簡単でも、面白く作り変えるのは難しい。俺自身がコンピュータ将棋を自作してみて、コンピュータとシミュレーションゲームを楽しく遊べるというのはどういうことかと考えると、弱い将棋相手でも駒をなるべく取られないとか、早く詰ませるとか、遊びようは人それぞれに出来てくるものである。

同じように簡単すぎて飽きたと思ったSRPGでも、簡単ゆえに出来ていた「遊びの幅」が無理矢理にRPG要素からの高難度化が進んで、もう詰将棋としてしか遊べず、遊びの幅が狭まったことが原因ではないかと考えている。

以前の俺の持論では戦略シミュレーションゲームはゲームではなく「パズル」に分類されるのではないか、というものだった。しかし、わざと負けることまで考えるとゲームとしての無数の選択の幅があり、ゲームとは何が面白いのかあらためて見直している。

どうも企画職レベルだと、人気のあるアニメのロボットを出して耐久力とか攻撃力をいじって同じように作れば宣伝を打って同じように売れるというダメな定番化が進んでいるようだけど、何かゲームとしての遊び方に見落としがあるんじゃないかって気はする。

それで充分と思っているのが作る側も買う側も多数派なのかも知れないんですけどね。

良いゲームというのは目が醒めるようなみずみずしい体験でもあるだろうけど、酒を買うのと同じように睡眠装置としての安心度の高さもひとつの市場だと思うので、この話はここまで。

シミュレーションゲームの敵ロジックを賢くして強くしようとするのは、それ自体がもう人生のテーマとなるほどコンピュータ科学の先端研究のひとつの分野として成立しうる。俺はそこでの戦いの負け組として、今夜も中華料理を食って缶ビールを飲む。

まあ、人間とコンピュータの初期配置を同等化して思考を競うというのではなく、詰将棋が詰めの手数を増やして高難度化出来るように、計算機科学ではなくシミュレーション職人の仕事の範囲で難しい味付けにすることも出来うるのだろうなと思うが、アンフェアなのは嫌い。


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