「洗脳」の語源は共産主義への思想転換にあるようだが

まあ、共産主義への洗脳って革命の新しいやり方だと考えるんですよね。

実は「民主」も「共産」も「自由」すらも洗脳なんだと俺は考えます。

もともと専制君主制であったフランスで教会と君主が組んで強められた王権に対して革命の大義として民主主義が掲げられ、洗脳された市民は「いいこと」と思って内乱を起こす。

これが百姓一揆とどう違うかと言うと、殺すことは例え悪政のもとでも悪いことであると知りながら確信犯として謀反を企てるとかそれに乗っかるのと違って思想を変えてしまう方法だから。

その意味で大正デモクラシーの「デモクラシー」は日本語にすると民主主義で、日本は外国と戦争する前から大正時代に民主主義を取り入れたのはフランス革命で民主主義が革命を起こしたのとは反対に刀狩りにも近いように、先に議会を投票制にして革命の芽を摘む先手を打ったわけだと考えます。

そうして民主主義のもとでの自由とは何かと言うと、隠された奴隷制だと思うんですよね。自由経済社会で市民は投票権を得て政治介入できるようになったものの、資本家が株式による資金調達とか不動産などの利権を手にしたまま、市民は金の卵を産む鶏として資本家に雇われて固定給を得て生産活動に従事する労働階級を間接的に奴隷とされたわけです。

この構図を打ち破るべく奴隷化された市民の新しい革命の方法が共産主義への洗脳なんだけど、残念ながら産業革命の影響で資本家は生産に機械工業を導入して、働く機械オタクに対して土地を充分に与えられた農民などは農民でありながら収穫で得たお金で家電などの便利な機械を購入して、電気やガソリン車による楽な暮らしを手に入れるんです。

この時点で国民の多くは生活が豊かになる層と労働者層で割ってみた時に、共産主義への洗脳を受ける労働者というのは工業などに従事している少数者で、仕事に納得して充分な生活を得たものは自由民主党に投票するようになる。電気もクルマも「使ってもいい機械」だけど、その機械の生産に従事する工場労働者などが労働組合とかを結成するわけです。

共産主義の論理の間違っているところは、仕事を分担制にして労働者の負担を減らすことで元々仕事をしていない人も仕事をしないといけないという労働の強要をするところ。確かに働いている人には労働の分担は素敵なテーマなのですが、工業化社会で実質的な労働が工場に押し付けられている現実の中で、主従の関係はフランス革命の時代の君主と教会と僅かな貴族のための多くの市民が虐げられている状況から数の暴力で革命が起こった時代とは違い、多くの市民が既に労働から充分に開放されていて、民主だろうが共産だろうが革命なんて起こすより今のままで充分にラクであるという構図からくる奴隷階級の抗えない袋小路にあるというか、ホント言うと「嫌なら辞めればいい」という状況が出来ているんだと思います。

それが「自由」という洗脳だと思うんですよね。そしてそれが現代の政治の最大勢力。

ただし、世の中どっかでは農業とか林業とか建設とか紡績とかしなきゃいけない仕事ってのは工業化が進んでも残ってくるとは思うんです。そこで今の日本は市民が仕事をやめちゃって権利を持った市民が外国労働者の奴隷化みたいなことを始めちゃってる。それが自由のカラクリだというのも共産主義的な洗脳であるもかもしれない。俺は世界中見渡せる衛星カメラとかで見ているわけではなく新聞とかニュースとかテレビとネットで情報収集してるだけだからね。

昨今のAIが仕事を奪うとか、直近のコロナ自粛とかも、広い意味での洗脳だと思うんですよね。ただ、充分に信頼できる情報網が無いと何が起こっているのかすら掴みづらい。掴めない以上は流布されている情報に洗脳だと噛み付いても、では正しい認識はどこにあるのかというところを示せないわけで。だからまあ、頭から信じているわけでなくとも病気が流行ってんなら家でじっとしとこうみたいな従順さは持ち合わせているわけですが。


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