思想犯

テレビゲームの攻略というダメな企画で始まっている俺のブログですが。

そもそもテレビゲームで遊ぶというのはそれを作る社会的背景として日米間で米国のおもちゃが高度工業化されて日本の仕事になり、安く国内に流通できたから国民総ファミコン時代があったのだけれど、それは子供にとって悪影響とされながらも夢中になってしまった世代であるということが挙げられます。

これはインドで英国向けの紅茶を作っていたらインド人の金持ちがチャイにして飲んだという話ととても似ていると思います。

日本で作っていて、国内で安く流通したと言っても充分に高級品のおもちゃ。そしてそれを楽しむためには労働外の充分な余暇が必要で、お金も暇もある人の戯言として聞き逃されれば何もなかったのですが。

しかし、こと俺が取り扱っているカプコンストリートファイター格闘ゲームとトレカのマジックザギャザリングなどは国が豊かになって子供にお小遣いがある時代にその子供の小遣いを巻き上げるための結構えげつない装置になったんですよね。「いやお前ら商売の相手じゃねぇから」と思われているような貧乏な子供でも少額のお小遣いで楽しめたんですよ。

それで20年とか30年とか経ってみると、あの頃のゲームを通じて感じた腕前の差にはそれにどれだけ没頭できるかという国民総中流社会の実質的な余暇の差という問題に起因していて、あんまりそこを掘り下げたら、貿易ひいては近隣国との外交にまつわる問題にも発展してしまう。

ああ、これなんて言うか俺、時代を間違えたら思想犯だなって思うんですよね。そして俺は政治家ではないので、国民にゲームを楽しむ充分な余暇があるかみたいな左寄りの問題で槍玉に挙げられても首でもくくれというのかという話で、俺が暇な時間を工場労働とかに充ててもその労働分だけ国が豊かになるかは疑問で、爺さんの代からの財産を全部ユニセフに寄付してゼロからやり直すみたいな行動力はなくて、ただ自分で出来ることの範囲でネットで言論をするときに、たとえそれがゲームの攻略というような出発点であっても思想的なことに迫ると右寄り左寄りは出てくるんですよね。

人によっては言論をしているというだけで左翼的に捉えられることもあるんですけど、公平という左寄りの論理でお金を得するのではなく自分から損している右の人というのが正しい括りだと思うんです。だから「敵に回されるなら最初からお金なんて出さなかったら良いじゃない」という右の立場を利用した戦い方になるんですよね。

そう考えるとゲームの勝ち負けだけなら、ゲーセンで金取られるなら負けたくないけど賭けなしだったら辛い練習に耐えるよりは負けてもいいかなというのが直近の正直な気持ち。

ただ、人間頑張ったとか苦労したと自分で思っていることに関しては何らかの形で報われたいという心理バランスの面から格闘ゲームやトレカに固執している部分も残っていまして。

その意味でちまたの言説が果たして中立的であるかの審判くらいは買えるんじゃないかと。

それならば自分の身の回りに論議が起こっていない時は自発的に発言するより静観すべきかなとも。そういう意味で格闘ゲームやトレカの文句でケンカを売りたいなら俺のところに持ってきてもらって良いと思っています。