努力は実ると言う。その中で成功とは何かと努力として何を実践したかの両者ともに客観的に測っていたかと言うと頑張っている自分に酔ってナルシシズムを高めたに過ぎないというのが危険な状態を生む。
まあカプエス2のAベガで画面端左向きのバニコンはかなり安定してきたよね。それでNKのサガットやCのガイルに頼っていた俺がAのベガを主戦力と見做して、それでAの強チームを考えるのも楽しみになった。
俺はファミコンのドンキーコングJrからゲームを始めたけど、カプエス2の頃には自分より若いスーファミくらいでゲームを始めてストIIやKOFで育ったというプレイヤーとも戦った。カプエス2のもっと前のゲームでも「俺もうストIIXあればいい」とか「ヴァンパイアハンターは面白かったのにセイヴァーは」という仲間との付き合いもしながら、しつこくやっていれば自分が最後には笑っていると信じた人間が一過性と思われた格闘ゲームにまさかの若年層からの新規参入とプロスポーツ化によってただのおじさんにされるという予想外の展開は起きてきたと思う。
「社会のニーズ」という言葉があって、無意識に企業は全て社会のニーズに合ったものだと思っていた時期もあるが、今日のテレビで家計における出費の中で生活費として家から出すものと小遣いとして子供に与えるものの違いを必要ニーズと欲求ウォンとに分けていて、ゲーム会社って欲求ウォントを作り出す社会のウォントだなと思った。
その意味で今ゲーム産業は成長を続けているが、富裕層の道楽としてウォントが膨れ上がりその実務も困難を極め高い技術が高い年収で雇用される。しかし、実態的にマス層の子供が連絡のためのニーズとして持っているケータイに割り込んでウォントを掻き立てガチャでカネを稼いでいるという側面もあるわけで賞賛は考えもの。
ただ、俺としても騙された経験はあるけど、1本のゲームを遊びこむというのは安価なウォントの満たし方だと思っているけど、マンガ単行本10冊とゲーム機ゲームソフト新品を比較したらまだまだ高いので安価というのは金銭感覚のズレなのだろうな。
先立ってYouTubeでプロの動画を見てテンションを上げ、そして自分の至らない点を見直し、プロ野球でも大相撲でも横綱やMVP以外にも応援されている選手はいるんだし、そこが1回勝つだけでも応援への報いにはなるわけで、勝率とかに囚われないで伸び伸びと遊んでいた頃をちょっと思い出してみようと肩の力をいちど抜いた。
しかし3プレイして終わる頃にはまだ力を抜いて成果が出るほど極まっているわけでもなく、成長曲線は努力との正比例ではなくゆるい上昇からやがて大きな成果を生むみたいな美談をネットで読んで、グラフになってるけど何をどういう風に測ったデータなんやと思うと、20代の俺はサラリーマンとしての月給ではなくやる気のない中年層を全部クビにして成果単価にしたいとか思っていた。
その願いはすぐには叶わなかったが、現実問題として中年になった今から再就職のためにはそれなりに企業に対する成果アピールは必要な時代になっていて、昨日の母の日は母親に連絡するのを忘れて競技プログラムの大会にオンライン参加していた。
ゲームはプログラムとデータの集合体だが、プログラムの仕事の成果は現在進行形で様々の指標で実験的に計測されている。ゲームもそういう風にちゃんと測ったら、何を努力してどんな成果が出るのかもっと割り出されるやろうけど、野球場とかテレビでプロ野球見るのと、データで野球を見るのは余暇の過ごし方として違う趣味という程度で、そもそも野球の成果って何だと言うとスポンサーの広告収入でカネが入ってプロとしてナンボという見方と球場が埋まって観戦チケットが取れて興行としてナンボというふたつの側面があって、スポンサーは本来おまけ。
その意味では俺のブログもゲームとしてカプエス2の庵についてもっと何か書かなきゃとも思うが、格闘ゲームってもう既に相手が何なら自分は何でかち合ったらどうなって何をどこで裏切れば攻守反転の目があるかって実況のおっさんがほぼ全部知ってる。
まあでもきついトレーニングの必要なスポーツでも無いので、年食っても出来るよね。ガッツとかやってやる感とかハングリーさとか勝ちへの飢えた気持ちは若い頃よりないけど、飽きたと思ってから近頃実はもうちょっと思っているより深い趣味なんじゃないかと見直すところもあり。
1日20分を10年くらい続けて成果が思うように得られなかったけど、20分やって成果が出ないと感じても3ゲーム60分やると成果は日々出ている感じがする。
そうするとギターの稽古も1日5分と言って2~3分しか取れていないことも多かったけど、それでも完成度如何はとにかく弾き語りの形にはなったので、ギターの寄り道は数年とか十年単位でしぶとくやることの意味を体感する経験となった。
すると同時にギターの音とレコーディングされたレコードの音との作り方の違いとかも分かるようになって、格闘ゲームも大会映像とかとゲーセン野試合と家庭用でのひとりプレイの違いと、それぞれに合わせた目立つという成果、100円を稼ぐという成果、節約して余暇を有意義に過ごすという成果に分けて考えて、そうすると電気代だけで随分遊んで人生の過ぎた時間にもそれに見合った価値観の変化とかを感じるわけで。
当面はベガを大将に庵のオリコンの練習をトレモでするか実戦でするか、ガイルをキャラ替えするかどうするかってところで、まあ遊びたいように遊べるようにはなった。