完全網羅できないルールでの競技を考える

完全情報ゲームという言葉があるが、それはテーブルゲームとして限られた世界の話。

俺の趣味であるトレカと格闘ゲームに於いて、以前は全網羅するのが当然の取り組みだった。

ストリートファイターIIの12キャラの技表とか、スタンダードで使える全カード。

それがカプエス2の48キャラとかしばらく離れて久しぶりに戻ったMTGのルール。

そもそも、得体の知れないものとして遊び始めて強いキャラやカードを知ることが何も知らずに始めるものに対してどれほど有利かということに自身で気付かず、当たり前のように本やネットで情報収集をする。そういう情報に頼ると今度は情報源の信頼性が問題となるが。

こと、ゲームがゲームとして面白い、遊園地が遊園地として面白いのは基本的に生活余剰のものがあるのが前提で、大会とかにムキになるのはお金が目当てでないとしても優勝とか無形の栄誉にすがるほど幸福感に欠けているとでも言おうか。俺は遊園地とかあんまり興味はないけどパチスロは打つしラスベガスにも行っては見たい。それを感性が貧しいと思われても仕方ない。

ただ、遊園地は日本に数箇所しか無いが、パチンコ店なら町ごとにあるような印章で、それらは玉を弾いて真ん中の受け口に入れたらカネが出るとかメダルを入れてスロットを回して777が揃うとメダルが出るとか、とっつきが非常にわかりやすいゲームなんだ。

格闘ゲームでもトレカでも、それと比べたら「知らない技出されて負けた」とか「あるのも知らないカードで負けた」とか言うと不勉強でやる気なくてダメなやつという烙印を押してしまう向きも見られるが、それだけ完全情報ゲームとして遊ぶために前提となるゲームの概要を押さえる前に普通は飽きてしまうように近頃のゲームは作られていると考えるんだ。

ところで、今日は久しぶりにカプエス2のフレーム表を確認してヤマザキの立ち強キックが発生9フレームであることを確認した。性格にはボタン押して1フレーム予備動作9フレームだから攻撃発生は10フレームとか11フレームなわけだが。

この9フレームというのは以前の俺の持論だった人間の反応速度の限界「以内」であるのだよな。待ってサマソで見切れる限界のタイミング。カプエス2から離れる前に最後の方はガイルでずっとしゃがんでヤマザキの強キックをひたすらサマーで斬る稽古にハマっていた。

恐らくだが、それだけでもう早打ちガンマンのような「ゲーム」なのだ。

格闘ゲームもトレカも色々なゲーム要素の複合体であり、昨今は複雑化したあまり、反射神経とか作戦とか情報とか読みの論理とか天性の直感や才覚以上に努力で身につくものでも何をチョイスして(選んで)身につけるかの六角グラフとか方向感覚みたいなものもないと強くならない。そして行くと決めた道が行ってみて当たりである保証はつけにくい。

だがそれは裏を返すと自身や根気に裏打ちされて続けるなら、どこまでも強くなれる要素が残っているやりこみさんには有利な競技になってきたということ。

とにかく取っかかってモリモリやるしか無い。俺は恐らくその迷路の半ばで立ち尽くしている状態なのだろうな。入り口までの戻り方すら今ではもう分からないんだ。

だから最近では、ミクロ的な情報よりもゲームでどうしたいかというような全体図ロードマップのようなものを作って俯瞰するような取り組み方もあるのかなとは思ってこの記事を書き始めた。この記事自体はまだロードマップにはなっていないが、今後のブログにはもうちょっと役に立つことも書いていきたい。


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