種々の問題は人間関係にある

俺はこのブログでたびたび法の下の平等年功序列が矛盾するのではと説いてきた。

だが、年功序列というのがどうして実定しているかというと俺が上の言うことを聞くからだ。後輩とか舎弟に背かれたときにどうするかと言うと、仕事なら仕事でゲームならゲームで勝って分からせる。つまり威信を示すということに尽力した。

そのため、俺は後輩には恵まれたと思うが、先輩とか上司には背いてみて威信を示してくれるかということを試したことがなく、無条件に服従していたと振り返る。

年を食って仕事や趣味で後進に追い抜かれてみて、そうすると威信は失ってしまうのだが、ふと自分の思っている先輩や上司に背いてみたら彼等はどうして解決するのだろうと試すと、ほとんどの人間は都合が悪くなると連絡を返さなくなり関係を断ってしまう。

簡単に言うと情けない話が騙されたようなものだ。

仕事でいうとずっと頼れるのは自分が実績をまだ持たないときに雇い上げてくれた竹山社長だが、最近はその竹山社長も多層的な下請構造のなかで下を雇って上から金を取り中間搾取する仕事の方法自体を他社に横取りされて苦しいようである。言うことを聞かないなら、頼んでも仕事をもらえなくなったというのが落としどころだろう。これは分かるので今後何とかする。

趣味のひとつである格闘ゲームについては、昔の先輩がいないと自分の周りでは自分が最年長になってしまうので、みんなが遊んでいるのを傍観する立場になった。まあ相手がいなくても遊べるのがコンピュータゲームの良いところ、そしてゲームジャンル自体は人気が続き、コミュに参加する人はまだまだいるようだ。これといって後進に何かを強要する必要はない。ほとんど全員が現役選手で監督やコーチのような役職に就いて食える業界ではないので、歳が上だからと上からものを言う人は放って置かれて仕事を失う。最後までうるさかったのはゲーム台を設置しているキューピー堂のおばちゃん(もうおばあちゃんだが)で、見せにくる他の客に俺が偉そうなのでゲームタダにしてやるから何度でも入って負かせと命令していた。なぜみんなおばちゃんの言うことを聞くのか俺は不思議だったが、同時に家にゲーム機があるのでキューピー堂でゲームをする意味もまた見失い、行かなくなった。誰も見かけなくなった。

別の趣味であるトレカは商売でやっている店の残党にカネを与えないようにしたら、俺の生活圏から店はなくなった。場所を変えてやっているようなので、特に追うことはしていない。しかしネットで観察する分に絶版カードの相場はまだまだ上がっていて、そしてどちらかと言うとトレカの原点であるMTGのコミュは店を除くと俺よかひと回り上のTRPG世代も多い。TRPGと同じで、ルールがあってゲームなのだが、ファンがグッズの購入と創作物や出版物を消費するために回っていて、ショップ所属のプロプレイヤと趣味人に完全に分かれているのだろう。店番で給料をもらうことを差し引いて、賞金だけで回るものか確かめたいが、俺が賞金稼ぎを出来る要件を満たしていた店は先に書いた通り全部閉まった。ついでにいうとパチンコ店のロータリーという最寄りの店も閉まった。次に近い店は換金ルールが等価から6枚交換に変わってほぼ勝てなくなって辞めた。

まあ、正義感みたいなものでヤクザをやっつけたかったら財源を断つ意味で勝負事は避けるというのが一般則ではある。遊ばせてもらっていると思っている人が客になるのだ。麻雀にしても暇人が遊び相手のメンツを雀荘に求めるから場代を取られる。だが、それで相手を憎たらしいと思ってやっつけてみても、カネを持っていないものから持っている以上に取り上げることは出来ない。それが居酒屋がオフィス街の周りで商売を始める理由で、お金を余しているサラリーマンから飲食代を取ろうとしているのだろう。

ところで、サラリーマンというのは平日出勤で固定給で、家のローンか賃貸の家賃を払いながら、暮らすには充分な給料ではあるが独立開業や退職を夢見てもなかなかそうは行かない絶妙な報酬設定で定年まで働くものである。飲食店や博徒が求めるのはそのサラリーマンの給料から生活費を引いて鬱憤晴らしにばら撒かれる「飲む」「打つ」「買う」の端金だ。

飲む打つ買うは昭和の標語で既に古いが、同様にサラリーマンという労働形態も規模縮小気味で、最近ではその仕事すら積立貯金と株式投資で早期退職などを見込めるという投資ブームが来ている。

ここでの立ち位置は格闘ゲームならパチスロほどはお金がかからなく遊べる。そして相手が人間なので飽きない、と言いたいが、俺は飽きてきている。そしてトレカの方は絶版カードの相場を上げ続けることで、株式投資と勘違いして「カード資産」という「トレカの大量のカードをもし現金化したらいくらになる」という幻想に騙されて株と間違えて買い続ける人をカモっているのだが、ここで正しい投資知識を身に着けて、それをトレカ業界から救い、そしてあんまりお金を使わないで安価な趣味のゲームの輪に入れて遊ぶ相手を増やすというのが今の俺の目論見である。当然トレカショップとは対立軸を持つことになる。

しかし、本来対立したくないトレカのファンに対しては、彼等もまた上手くカードを高値で手放して売り抜き、他の趣味にトレカ以上の生き甲斐というか楽しみを見いだせるかと考えると、先に書いたように俺より年代が上で定年も近く、それならトレカを絶版で保有し続けたまま年金生活になるというゴールラインを引いている可能性もまたあり、そうならばトレカショップを潰してしまおうという俺は敵視される可能性も出てくる。

まあ、そういう風に格闘ゲームとトレカにこだわりを持たず、その人脈すらも諦めたら、モンハンでもしていればオンラインで遊び相手はいくらでも見つかる。ただその相手をいくらでもいる見ず知らずだからと軽んじて付き合うか、格闘ゲームのときにそう考えたように狭い趣味の大事な仲間だから一生の付き合いになっても良いくらいに深く付き合うか、そこらへんの俺の対人距離感の散り方が俺がこれから年を食って有意義に暮らせるかの舵取りになるだろう。

傾向的にネットゲームは他の参加者と安全距離を取りながらゲームを一緒に遊べるようにどんどん工夫されてきている。その遊びの仕組を提供することを仕事にしている業界が、どれだけ特定の顧客をカモるかではなく、多くのプレイヤを獲得して一人あたりの客単価を下げるということに合意するなら、圧倒的に自分の趣味を貫くより売れ戦ゲームに自分を合わせていくほうが割安である。それが最近の俺の遊び方。

そのなかで、自分の好きなものを大事にするならそれ相応に支える向きの動きも見せたいとは思うのだが、お金でアッサリ解決というのではなく、何とか他の選択肢で趣味を維持できないかとか、そんなことばかり考えている。その中で人と関わることが大切ならば対人関係をこそ改めるべきであるという今日の話題に落ち着くのでした。


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