シュレーディンガーの猫

 俺が子供の頃に「ノストラダムスの大予言」てのが流行ったが、ノストラダムスが16世紀の人ということを考えると1900年代にロシアに隕石落ちてきてんだから予言大筋で当たったよね。

 そのくらいのふんわりした粒度での話として読んでもらったら良いんだけど、原子論があったとして、原子の大きさは光の波長より小さいからレンズで光をどんなに収束させても見ることは出来ない、けど電磁波が研究されてもっと波長の短い電磁波が作れたら、それを原子に当てることが出来るという話がある。実物は見たことないけど、ぼんやりとして原子写真が公開されている。

 それで何を見たいかというとDNAって本当にあるのかって話なんだけど、見られたとしてDNAから細胞や生物がどうできるかその電磁波顕微鏡で波長の短い電磁波を当てちゃうと、DNAが壊れたり、放っておくのと立ち振る舞いが変わっちゃうかもしれないわけで、それが岸和田博士の「リンゴは人が見ているときはリンゴでも背中を向けているときは悪魔かもしれない」みたいな漫画で中学くらいの時に読んだんだけど、そういうふわっとした話でも哲学的にはそういうことだと分かる。

 近年ではコンピュータの中に現実の街や倉庫などそっくりそのままシミュレーションして仕事の効率をアップさせる実験があって、中身が均質な「モノ」のレベルではだいたいそういうふうに行く。そして、それらが意志を介在する生物になったらどうなるか、となると見られていることを知らないコンピュータの中の人間に先に仕事をさせて見ている側のコンピュータ操作者が有利な介在を行うっていう話になってくる。

 そうするとコンピュータ以前からあるようなカオス理論でも蝶々ひとつで運命が大きく変わるとして、その上で蝶々までコンピュータに入れちゃったらどうなるか、みたいなのが今後の展開だとすると、コンピュータはどんどん集積度をあげながらもデータ的には肥大化して、より大きい者が小さいものを管理するって構造になっていくと思うよね。普通に。

 その中で、俺は誰からどんな風に見られているかは知らないものの、近頃は「神は見ている」と思って生きる古来からの哲学もその意味では合理性があると思うし、反対に全部見られている上で全て許されて今があるならって裏返ることもある。

 ロックスターのように多くの人の前で目立つ存在になりたいと思ったこともあるけど、誰からも知られない秘密の研究所で世界を意のままに知りたいと思ったこともある。このふたつの願いの矛盾を自分の中でどう折り合いを付けるか、ってところがこれからの課題。


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