マス・コミュニケーション

 どうしてウェブに日記を書き始めたのか、思い出そうとしていた。

 ふと気がつくと書く意味をすっかり見失っていたから。

 毎日見ているテレビのように何千万人に届いているくらいのつもりで気持ち良く書いていたこともあるが、まあ技術の恩恵で正しい統計が取られると、昔書いた記事に人が集まって、こうして毎日新しく書くものはとても読者が少ない。

 「そこは多く見せるべきでしょ」とか、経歴に関しても正直に書くよりプロパガンダを張って脅すべきでしょうとか、異論が色々あるのを跳ね除けて書きたいように書いてきた結果だ。すごい人と思われたいと思わないでもないが、ありのままの自分を晒せる親友のようなものを持たず、どこか打算的に生きてきたツケをウェブにぶちまけることで発散してきた。

 この発散については俺の問題だが、では何らかの理由で俺を直接知らないのにブログを読まされてきた人も少なからずいるわけで、そちらから何らかの電信が少しづつ届いてきた。

 まあ、マスコミというよりはインターネット。グループコミュニケーションとでも言おうか。

 ここでマスコミとは何か改めて考えた。コミュニケーションというからには双方向通信であるべきで、テレビに隠しカメラが内蔵されてテレビ局で視聴者の顔が全部見える、みたいなものではなく、テレビの放送内容を受け取った人は投書やFAXに電話に商品購買や投票など、何らかのリアクションを起こすものだからコミュニケーションが成り立っていると見る。

 俺もテレビッ子。だけど、俺の近所でずっとテレビを見ていると通りがかった子供が「テレビの音がする」「ここに発明家か何か住んでるらしいよ」「ウソ、ずっとテレビ見てるだけでしょ」というふうに通り過ぎていくことがある。

 ふと、インターネットにプロパガンダを張るべきであるという理屈をひっくり返すと、お昼のテレビの視聴率なんてのもある種のプロパガンダで、見ているやつがあまりに少ないから投書やFAXで簡単に民意を伝えて放送に干渉できる、みたいな側面があるやもしれぬ。

 何か近頃ってか結構前からテレビのヘビー視聴者として、発言権を得ている気はするんだ。


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