奈良は緊急事態宣言出てないので

ふらっと散歩に繰り出したわけです。

近所には本屋が子供の頃には4件以上あったんですけど、今は知る限り3件。1件は新しいけど古民家風に昔からある本屋さんみたいに見えるように新しく出来たので騙された人は行くけど俺は行かない。1件は駅の踏切の向こうで面倒なタイミングになることがあったのが、テナントが変わって最寄りになったので漫画雑誌などはここに取りに行く。もうひつつは町でいちばん大きな本屋さん。もちろん、子供の頃はここがいちばん好きだったけど、年食っていく過程で町の周りのことを知ると商店街の組合とか貸しテナントに入っているか土地持ちなのかとか大人の利害の関係で、その本屋さんは品揃えも良くて良いんだけど、ネイティブに対して利益還元があるのかみたいな大人の事情であまり行かない方が良いとされ、コソコソ行く。

まあでも「良い本」と決めている基準は俺なので、俺が子供の時には児童書が並んでいて良い本屋、中学くらいでは「本買ってくる」と出かけてファンタジー文庫とか買って良い本屋。親に見つかって「勉強しゃんとこんなん読んでるのかっ!」と怒られて悪い親。そして本屋というのはどういう商売か内情を知るわけでもないが、聞いた話では雑誌で儲かって活字の本を書く作家は出版社のお荷物で近頃は雑誌もどちらかというと漫画雑誌と女性ファッション誌が主戦力。しかしウェブに押されて出版業界自体は再編を余儀なくって、これ書いてる俺のこのブログもウェブなワケ?それでも仕事で行き詰まった時に技術書を取り寄せてもらったり、そうすると注文した本屋さんに類書が届いて並べられたりで大きな本屋さんは俺にとって大体は良い本屋さんで有り続けた。

ただ、繰り返しになるが「良い本」の基準が「俺が欲しいもの、読みたい本」なので、興味の向くままに本を買うと売れるので類書や続編が届くという話であって、全然関係ない類の本が欲しいけどお金がなくて立ち読みしかしない人から見ると本屋をコンピュータ関連書籍ばかりにされた日には侵略者であり敵視され、その頃に「図書館戦争」なる本も出版されている。

本とは如何なるものか。今日の散歩では本屋は相変わらず子供を釣り、暇な大人に教養ごっこをさせ、アイドルの写真集があり、流行りらしいレコードが並び、テレビ化された原作小説のコーナーがあり、受験参考書があり、自己啓発があり、古典の名著もある。そしてひと通りやってみた40代の男にはもう用のない場所のようでもあり、しかしだからと言って本屋にある本全てを自分の知識に出来ているかというと、まだまだ多分知らない世界が背表紙を向けて待っている空間なのである。

まあ簡潔に言って、本はお金と時間を知識にするための道具であり、本屋は道具屋である。この暑さを涼しくする魔法の本は多分無いと悟った俺はクーラーに当たるために本屋に来ていると思しき立ち読みの人々を背に去り、モスバーガーでコーヒーシェイクの店内飲食を頼んでストローで少しずつ吸って店内でかかる洋楽の軽音楽にしばし耳を澄ませ、ジュルジュルと卑しい音を立てないように心苦しくもコップの底にほんの少し飲み物を残し、家に帰った。


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