遊戯王DSを100戦やりました

 遊戯王DSナイトメアトラパドールを100戦やりました。

 戦績は94勝6敗と100戦丁度なので計算しやすく勝率94%です。

 けどまあ、序盤は城之内くんに2敗、中盤ダイナソー竜崎に1敗と3敗目までで九割超の勝率はあったわけですが、エキスパートカップが始まってからの10戦で3敗しているので今後もチャレンジを続けると勝率はどんどん7割に近づくのではないかと。まだ先はあるので五分に近づいたり負け越すことは200戦くらいやらないと無いけど、まあ負けが込む可能性もあり。

 なぜなら、コンピュータは終盤パックで登場する壊れカードを何枚も持っているけど、こちとら序盤パックから集めたカードで終盤パックを買い足すにはコンピュータを倒してKCポイントを集めないと買えないという強烈なハメ技になっているからです。

 この辺が遊戯王の現実なんだなと。MTGの戦績とか誇ってたけど、腕や知恵で負けたというより強いカードを集める資金力で負けただけだという不満が方々から聞こえてきたのも分かります。けどまあ、それ俺が使った金なわけだし、地元の相手では物足りなく、各地のデュエルスペースへ赴き、デュエリストと交流して、絶版カードを持っている人から譲ってもらえないか交渉したり、色々やった結果であって「いくら!」とパンと出して全部買ったのではなく、確かに使ったお金の総額でいうと多くても、パックを剥いたり交換したり譲ってもらったり、ほとんど捨値の売り出しカードを友達とゴソゴソ漁ったりして色々やった結果なんですよ。

 そこの誤解を、自分自身でもいつか相手の言うままに飲んでしまって、言い返す元気も無くなっていたんですが、遊戯王DSで友達対戦からエキスパートカップまでショートストーリー短編物語として追体験すると「ああ、俺もこうだったな」とひとまとめに整理できたわけです。

 そこでね、せっかく集めて工夫して買っても、絶版カードも理不尽な強さなら、新しいパックに理不尽に強いカードがあって、それが当たったり当たらなかったりするわけで。

 同じくらいの強さの相手がいて、当てもんに一喜一憂して、ちょっとずつ強くなって。そんなロープレゲームみたいなデュエリスト体験が出来たのが俺の固有体験であってMTG遊戯王の一般論ではないってところまで、ちゃんと噛み砕いて理解できてきたとは思います。

 反対に、俺が金で勝っているのではなく、いろいろあった結果をまとめて金で買おうとして、いろいろな値段のカードが雑多に売られていて、ひとつひとつ理解できないから「金だった」という風評を流して無かったことにしてやろうとされているのかも知れないよね。

 そりゃ、スポーツするにしても栄養価の高い食事を取って健康な体を作れるかという問題にもエアコンによる快眠とか、お金の絡む要素はあるわけで、本人の努力というか努力すれば解決出来る境遇にあるかどうかという線引きはあると思う。だから、俺は本人目線では不満があるとしても、多くの他人から見て恵まれている要素も多分にあるわけで。

 そこで公平にと無理に土俵を平たくして努力を分かる形にして見せるということをすると、もっと頑張っている奴に負ける要素は色々あるわけで。それで他人を認めたところで、皆が認め合う社会が到来するわけではなく、追い越された分だけ自分の立ち位置が低くなって、不利になってしまう。

 側から見て、金持ち同士がワケの分からない競争をして、途方も無いカネをバカみたいな使い方で使われて、貧しいものは余計に肩身の狭い思いをする。そこで頑張って働いてくれたら経済が回って資本家が儲かるほど甘くはなく、不買運動やバッシングが起こって、その先に目立ちたがりの俺たちがいるという構図になっている気はするよな。

 だかといって俺の有り金をばら撒けば全ての人を救えるほどの大富豪でもない。だから何らかの働きかけはするもので、この遊戯王をもうひと踏ん張りするくらいの仕事はしたい。

 まあ、ドラクエにしてもハーゴンを倒したりバラモスを倒しても裏ボスがいて、それに勝てば世界に平和が戻るから救いがあるわけで、同じゲームでレベル最高になっても勝てない相手がいて世界は何も変わらずエンディングがないなら名作と呼ばれただろうかと考えた。

 現実社会にはどこかそういうところがあり、俺は俺で若い時の努力でせめて金持ちになって消えてしまったら若い時の話が物語になるのかもしれんが、こうして暇人ブログを続ける限り、側から見て夢が無いように見えてしまうかもしれない。

 それでも俺のわがままを言えば、この駄文ブログを投稿し続けるくらいの関係でネット社会とは繋がっていたい。そこに読んだ人が幸福になれるような話を組むほどの気配り足りない。


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