1番を取るということ

 将棋ベーシック改は現在のベクターのダウンロードガンキングで7位である。

 歴代最高で3位。3位は身に余る人気で7位はどうかというと皆様のお陰です。

 俺でも1位は欲しい、何かの1位になりたいと思ったことはあって、ストリートファイターIIターボの国技館93に出るときはもう、それは1位になって大スクリーンで勝つ姿を思って臨んだわけです。しかし夢破れて、スーパーストIIでは店舗1位で賞品が出て全国には挑まず、受験で敗れてそれでも入った専門学校でプログラムの授業の提出速度を競って谷周太朗が1位で自分は大体2位。それでプログラムとグラフィイクが分かれた時にグラフィックを取って卒業制作は校内1位だったけど音楽の付いていない無音の映像で、BGMの付いた写真加工のみのCGが学外のコンテスト1位で俺は何にも引っかからなかった。見る奴が見れば分かると言っても同業者以外からは評価されないもの。それで同業者なら分かるなら企業内定が取れるのではと大企業に企画職で応募するも片っ端から不合格で、大阪の小さなパソコンゲーム会社メディックスに月給14万円で入る。その頃には既に何かの1位なんてものではなく、これからどんなゲームを自分の人生で作れるかというゲーム内容の具体性を伴った考え方になっていた。

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 それが変わったのは病気での退職だが、病気の俺がひとつ見つけた幸せが近所にまだ西友があった頃にガラガラのマクドナルドが店内にあって、そこに昼飯を買いに行くと「1」と書かれた番号札で注文したメニューが出来たとき「いちばんのかたー」と呼んでもらえることだった。

 しかし、その行動に周囲の人間が気付き、街を徘徊する若者や年金暮らしの老人がマクドナルドの1番を奪いに来るようになった。ここは俺の病気もあるかもだが、ただマクドナルドに客がいるので旨いのかと思って寄ってきただけとか、もとから弾にマクドを使う他の人と時間の都合で前後が付いただけなのかもだが、俺に渡す番号が「1」以外だとやたら不機嫌なのはレジのお姉さんも気付いて、やがて1の取り合いは顕在化したゲームとなり、家からマクドに行く道が老人のカップルのブロッキングで進路妨害されるなどして、警察は「偶然」病院は「病気」だが、大和郡山のさりげない小さなほとんどの人は気づかない競争で、それがやがて店内で紙コップの水を引っ掛け合ったり、殴る手が出るくらいの抗争になった。警察が呼ばれ、街は騒然となり、それからマクドナルドの番号札が5枚程度あるが「1」が無くなり「8」とか「55」とかランダムなナンバーのみになった。

 ここまで来ると分かってもらえるかもだが、今日は病院の受付が1診1番で、それでも荒っぽい兄ちゃんが2診1番を持って先から病院の入り口で待っており、受付に割り込んで険悪なムードであったが、先月から準備しておいたので、事務などの順番もあり、最初に診察してもらって薬局で1番に薬をもらえた。しかし次回は7番で、病院の人も危ない人も分かっていて、1番を誰に渡すかには配慮がなされている。

 テレビによく出てくる芸能人が時々変わるのははみな人気取りの競争である。芸能人が決めるのではなく出演を頼むほうが決めることもあるだろうけど、出演して視聴者に人気が出ると依頼も増える。難しいし見通しも立たない仕事だと思う。それが望みだけど、そうはなれないと思った人がスポーツのような明確なルールのある世界でアスリートとして体を鍛えてその世界の1番を目指す。何かの1番というとさらにその後で、その世界が注目された時に1度だけテレビに出るくらいだろう。

 そうでなくとも1番と言うのは順番のある世の中では至る所に存在して、何物でもないような人だけど傍から見たら頭がおかしいようでも誰かは何かの1番を心地よいと思っていて、そこには気づかれた時点から競争が起こるものだろうなと思っている。

 まあ、ベクターの将棋人気ではKShogiと柿木将棋が1番2番を争っていて、3番手まで行っただけでも自画自賛なのだが、その世界の1番と言うとダウンロード人気ではなく将棋の勝敗での競争でBonanzaややねうら王に水匠のほうが皆よく知っていると多分そうだろうと思う。何もしていなくても「次はお前に取られるのではと一番警戒していた」と言われたこともある。まあそういうハッタリは時々必要だと思っている。

 病院の1番で2番の兄ちゃんとの争いもにらみ合いがあったが、ウチの中でも親父と朝のトイレの時間が同じになり、長い間使っていない内庭の横のトイレを使った。

 そんなことよりメシに旨いもんを食った方が良いのではと時間のために昼食をコンビニおにぎりふたつにした後に、こうしてブログを書きながら思う。そのうまいもんも店屋物の場合はマクドのように競争が起こる。そこが振り出しに戻ったら、まあ待って当たるなら順番くらいは譲れるが、スーパーのシャケ弁やカツ丼が売り切れた時には群衆をマシンガンで掃討したい気分になったこともある。平和とはガラス細工のようなものだとそういう時には思うこともある。譲り合いの1番がある世界には豊かさがある。


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