いよいよ自分の仕事がAIに奪われそう

 俺は情報処理技術者でプログラミングを仕事だと思って働いていた。それはプログラムが売れることで売り上げがあって収益金があり、会社の他の人間は俺にプログラムを書かせて雑事でカネを分配しており、主役の自分の収入が周りに奪われたという思想に至った。俺がAIをやりだしたのはその雑務もプログラムでやってしまえばプログラマに全てのカネが入る程度の考え方からだった。

 プログラマとして脂の乗った30代にはイケイケでお金は言い値で入って来ていた。しかし俺の好きだった書店には面白い本では無く「AIが人間の仕事奪う」というような雑誌がばらまかれ、本が好きそうに見えた本屋の姉さんや図書館の司書さんがアイドルみたいな化粧もきっちりの美人に置き換えられ、会社の事務の女子がミニスカをはいてきて、色仕掛けにクラクラ来て辛抱たまらず繁華街で風俗に行って用を足した。

 こんな風に、俺は起こったことを字に起こす。小説家とはちょっと違って、創作活動をするのではなく、起こったことを字に起こすのだ。内面を描きだすように考え方とか思想を述べることもあるが、例えば洋服のカタチを名刺で表し、カッターシャツやジャケットにズボン、ジーパン、パーカー、ニット、ランニングシャツなどと覚えて行けば、テレビに人が映っても「武井壮」と言うのではなく白いランニングシャツの上に黒いジャケットを羽織っている刈り上げのスポーツマン風の男と言う風に活字にしてゆけるのだ。もちろん、色も白黒赤青緑というようなシンプルなものから草花の色に例えてカーネーションのような赤とか、和名で萌黄色とかいうふうに書いていけるのである。刈り上げと言う風に典型的な髪形などにも名前があったりするのである。

 まあ、説明すると文章の書き方が理路整然となってくると、その昔にアクセスカウンタを自分で作ってCGIにするのではなく外部サービスを登録したその会社からAIでブログ文を自動生成するエディタの案内が来ていた。手柄ということを主軸にすると自分で書いたとするから文筆料として一筆幾らと考えるものであるが、基本誰が書いたか分からないウェブライティングの世界で自分が書いたものにAIツールの営業がかかるとAIを使ったという濡れ衣の偽証が成立してしまう。昔にCGIを描くのをサボって外部サービスを使ったことを泣くほど後悔しそうになった。

 俺はタダ働きだと嘆いているが文章を書くのが楽しかったのだなと思う。プロレスラーだって肉体労働だと嘆くものはおらず、勝負師として仕事人として矜持を持って仕事に臨むのだろう。もしそれがセコンドになってリングの外に追い出されたら引退だし、ましてやそれがテレビ画面になってしまったらご隠居である。

 しかも、そのAIツールは一万円近くしていたものが無償になるらしい。

 まあ、執筆と言うのは密室作業で守秘されていたものだろう。誰も書けないから書く先生にお金が貢がれるのだ。それがAIでも書けるようになるとプログラマが同じように書ける道理もあるし、なんなら簡単操作で文章になるのである。

 密室守秘と言うのは庶民からすると疑わしく羨ましく恨めしいもので、守秘契約で多額の金銭を扱う企業と言うのが常に新聞記者のような外野から暴かれんとされるのも納得で、ゲーム会社が幾ら儲かっているというのは例えば本社ビルの施工が1億円だから1億円の利益があってゲームソフトが店頭で9800円仕入れが980円とすると10万本以上売れていて100万本だろうという風に記者が記者なりに粗利を計算して新聞記事にしてきたのではないかと思う。

 まあ、企業会計と言うのも労働者からするとブラックボックスの部分があり、経営者は全て知っていても営業部は開発部が原価幾らで商品を作っているか分からないし、開発部から営業部が客にどれくらいで売っているか分からないというような組織の肥大化と分業化による風通しの悪いところは大企業につきものである。

 内部でも分からないけど外部からはお金の出入りであぶり出されるものかもな。

 さて、AI執筆が無料になったとして任せてしまったら楽しい執筆が出来なくなるわけでもなく、そんなの使わず自分で書けば楽しいのだが、書いたのが俺ではなく「AI使ってるんでしょ」とか他人から思われる歯がゆさが生じてAI死ねと思うのだが、30代の俺もまた他人からそう思われていたのだろうなと分かるようになったのだ。


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