「吾輩は猫である」のシノニムを漫画にしてみた

 先に謝っておく。すげーくだらなくてゴメン。

 で。スゲー言いたいことがたくさんあって、俺なりの不服を並べるともうキリがないんだけど、精神病院に行ってカウンセラの先生にもはじめの3年くらいはそりゃもう長々と語ってですね問答をしていたんですよ。でもお薬もらって通ううちに最初の堅物の真面目な先生がどこかに行かれて若い新しい先生が来て採血検査だけ定期的にやって「近頃どうですかー」「まあ彼是引きこもりでして」「はいはいお大事にー」って感じで何から話すかって、もう聞き流す姿勢の先生に語る気も無くしているんですよね。

 病気になる前はブログもまだブログと言わず、ネットにHTMLの文章をFTPソフトでアップロードして色々な人の目に留まることで「面白ね」「書けるね」とまあお世辞ももちろんあると思うけど、どんな人が書いたのか会ってみたいって事もあった。

 人気のあるブログを見ると、連載形式ではなく、ホントに毎日定型的にブログに始めてくる人への簡単な紹介を添えて、敬語を使ってそしてブログのひとつの集金形態である広告収入を得るために商品の紹介などをしていて、読み物としての面白さを添えたセールスコピーが続くわけです。文章そのものを商品にしたのが紙の本やKindleで、本になる敷居を超えられない人が有料noteとかに手を染めてSNSで拡散する。

 そうすると商戦に勝てない引きのないつまらない三文小説といったところで、本を読む人にしてみたら何の先生でもない素人が書いたものなど面白いわけでもなく、ただまあ俺の場合は異世界であったストリートファイターIIの大会参加者とか日米戦金銀経験者として、その真偽のほども含めて面白がられるかもだけど、書き始めた頃はまだ学生だったので、その頃の方が市販の攻略本との単語の関連性から読みやすかったのだと思います。

 その意味では職業としていたプログラマとして入門書や技術書ならどうかと言うと、正直商売だから売り物にしたくなかった部分もあって、シェアウェアとして売り物にしてみて、諦めた部分をOSSとしたら、それを引き継いで再び商戦を目指している作品を見ると読んでもらったといっても俺の名や著作権は上書きされて取られた感じがするもので、だからして市販のプログラム本と言うのは基本的に売れないプログラマの素人向けの種明かしであって、それは市販の手品の仕掛けや種本が稚拙に思えるから手品程度の事を魔法と言っている人がいて幼稚に見えるというのも理解できる。

 かといって、仕掛けが本格的になってくると、書籍のカタチでは難しく付録つきになってそれは本とは呼ばないし、理数系でも純粋数学が少し特殊なように文芸でも世に既に無数にあって、仕事が無くて書く人の中から読むに値するものが新しく現れるのも、また古典から典型的な文章に慣れている人からしたら稀な事なのかもしれないです。

 まあ手品と言うか奇術のたぐいも不思議だった時代があって、演技に驚いて種本が売られて消費されていった業界で、年配者は知っている人が居たとして、一度は熱中したんじゃないかと思うんですけどね。そして新しい種が考案されて、ウケたらさっと消えて種は明かさないようにする。そういう手法が取られるようになったんだと思います。

 ただふらっとゲーセンに入ってたむろするしか人間関係の少なかった俺にとって、勝ち逃げて人間関係の輪をひとつ断つことは寂しい事であったので、こうして文筆を続けているのかも知れませんね。

 ただまあ、核心に迫る部分が分からないうちは、つきまとわれたり、問い詰められたり、色々とひどい目に遭いました。問答の結果どうしてもわからない、もっと訊きたいと相手から求められる状態で人間関係が嫌になって、それは上手くやると教職のように食える側になるのかも知れませんが、種本ブログにすることで読まれて理解されて飽きられて取られて捨てられて、然る後に自分の好きなことが出来る有限の自由が手に入ったのかも知れませんね。


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