何から突っ込めばよいか分かった

 世の中の色々な話に「どこから突っ込めば」と思うことがある。

 プログラマをしていて、ハッカージョークというかプログラマの時点である程度は人並みより高い論理性があるのはプログラムをしていると自分が正しいと思っていることを機械に打ち込んでやらせてみることで「機会に命令するとこう解釈するのか」という職業上の無数の失敗からの内省で多くのプログラマが賢いというかシニカルになるのだ。

 そういう頭で世の中を考えると、人のおかしさは結局小学校からの教育に起因している。プログラマは2進数、自然数、実数などで物事を解釈しようとするが、世の中は慣習的に10進数なので、それと16進数などの変換を毎日のようにしている。近年では日本でもIT教育がなされるようになったが、それでも小学校に二進数から教えるべき見たいのはアメリカの学校でPASCALが教えられているとしても偏っていると思われた。

 まあ、戦後教育であって日本は敗戦国であり、勝戦国は先進国と言っても植民地支配をしていて実質的に貿易とか輸入で成り立っているので、農作物でも特に小麦を輸入して小麦粉の状態から配給なり商売で国民経済を回すことを念頭に売買のための算数を小学校から習う。しかし並行して日本の歴史として弥生時代からの農業を習う。給食で小麦粉から出来たパンを食べるのに、それが輸入されたものであると教えられずに日本の農業の起こりと米食文化を並行して教えられるのだ。

 分からない子供や納得できない人をどんどん置いていくためにバラバラの時間割で科目はどんどん進む。中にはちゃんと分かる賢いやつも居るのだが、義務教育の中学を出て進路を考えるときに進学を選ぶ頃には間違った当たり前を一生懸命覚えこんだとんでもない思考回路が出来上がっていた。少なくとも俺はそうだったが、進学校でつるんで遊んだ悪友や心を入れ替えて勉強しようと思った時に学友となった優等生などからするとワルはワルなりにガリベンもそれなりに勉強から鵜呑みではなく組み替えなおした論理的な考えはあったとも思う。

 俺も歳が45なら昔の遊び仲間も似たような年になり、勉強如何ではなく生きている間に少なくとも酒に酔って話をしたり眠ったりでもアタマって整理されていくもので、ほとんど誰しもが大人の分別を持っている。生活の中で現実社会に適応する中で習ったこととのすり合わせが出来ていくからだ。

 そうすると、いじめるようなことを言うが、学校を出て教育学部で習ったことで変化していく社会の中で義務教育として小中学校に毎年押し寄せられる児童に教育という名目で一定の科目を教えなければならない先生仕事というのは例えば歴史ひとつとっても同じく縄文弥生から始めると戦後から歴史は比較的に近代史が長くなるわけで、ギャップがどんどん広がっていくものだと考えられる。

 それで、まあ奈良でも県議選で維新が勝ったが、まあ高校無償化で学ぶ時間を増やすことで子供が児童、生徒、学生と社会から守られる時間を増やすことで何とかしようというのは比較的にマトモな政策ではないかと思っている。社会がおかしいと言っても選挙活動をして国会で会議をするのが主業の政治家にカネを払う以外の仕事というか、狭い日本とは言え社会の諸問題を全て押し付けてもどうしようも無いと思うからだ。

 何から突っ込めばと思う言論が展開されているが付き合うほうがバカげていて、活字や言論主体のメディアより面白い映像メディアが増えていて、面白いものを浴びているうちに自然に分かってくることがあることに期待する方が健全なのかもしれない。

 そういってこの言論メディアであるブログをしていることが俺自身の自己矛盾ではあるが、だからしてそろそろ言論に参加することも遠慮する必要があるかもです。


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