学校では科学を習うけど常識は教えてくれない

「病は気から」というが、病院で見てもらうような体調不良を現代では「病気」という。

もともと「病(やまい)」というのが日本語であるが、東洋医学とりわけ漢方などの中医学から全身を巡る「気(き)」つまり気功とか現代から考えるとややオカルトな体系によって原因が関連付けられ日本の医学で「病(やまい)」は「病気(びょうき)」に改められた。

そういう日本の学問の成り立ちを学ぶと、SiO2の「硝子(がらす)」とNHO3の「硝酸(しょうさん)」はともに「硝」の文字で示されて硝とは原料石の名前だが化学的に分解すると別物だと判明したのだ。それで学校では伝統工芸のガラス細工ではなく科学の力で改まった部分から習う。

世の中が競争原理の上に成り立つ自由経済社会なので競争に勝つために速い情報取得が求められる。だから子供に早く「いいこと」を教えたいというような親心を満たすために、俺らが小学生の時には勉強をした子供が将来大学に行って「研究」というようなことをするならと、夏休みの自由研究という課題が与えられた。子供の時からしておけば早いという考えだろうが、出来ることといえばせいぜい経過観察くらいのことだろう。

同じ理屈でコンピュータ・プログラミングも社会需要から小学校で習うようになった。確かに早くから学び始めたほうが優位性がありそうだが、プログラムされたソフトウェアは同等以上のスペックを持つコンピュータに電気的にコピーできるので、企業はプログラミングしてコンパイルして実行ファイルにしたその実行ファイルのコピーを販売することで売上を出し、プログラムシステムそのものは隠蔽している。

複雑なプログラムシステムを読み解くには膨大な知識が必要で、それに対して数ステップのプログラムが書ける能力というのは本当に小さな力に過ぎない。企業が展開している大規模システム以上のプログラムを自力で組み上げるのはほぼ現実的ではなく、実際的にはふだん非公開として隠匿しているプログラムシステムを契約した企業や技術者に公開して、改変要求を出して対価が支払われるのだ。

まあ、その大企業の方策に立ち向かうべく奮闘しているのが昨今のオープンソースで、今まで企業に秘密にされてきたプログラムシステムの仕様をネットで公開して、有志で組み上げて市販品の圧倒的な経済的シェアを削り、ひいては追い越し乗っ取ろうとしているのだ。

そう考えると病気を治す医者という仕事も、硝石を溶かして細工を施す職人も蘭学が日本に入ってくる前から存在する職業でギルドの秘密を持っている。俺はIT業界のはぐれ物なのだ。

だから学校で教えてもらえることは先生の知っていることの範囲で、それをやっておくとか試験のために塾に通うとかも勉強法だけど、自分で図書室に通って学べることもあるし、世の中で仕事の役に立つ知識というのは隠されているようでいて、実は学ぶ気さえあれば誰でもリーチできる範囲に転がっている情報なのかも知れない。

その意味では、俺自身もマイコンブームの頃に雑誌を取っていれば簡易なテレビゲームくらいはもっと早く自作できたかも知れない。それは実はマイクロソフトウインドウズの日本上陸以前は市民に普及していた情報で、それを学んだ世代が仕事になって隠すようになった情報だから、小学生にパソコンを与えてプログラミングを義務教育化するというのは歴史からすると二重にねじれている発想なのだ。

そう考えると、親が何かの仕事をしていて親子関係の中で学べることの差が子供の未来に与えている影響というのは大きく、子供の進学を希望する親は学歴による優位性で社会生活をしていて同じメリットを子供に与えたいと考えているか、もしくは自分で教えられないから先生に頼っているかのどちらかだろう。

大学というのはギルドであると同時に卒業しないと高給がもらえないという不安を煽って受験ビジネスが子持ち世帯の親を狙って広告を打ち教育費のシェアを奪い合っているもの。自分で勉強できれば学校も塾も不要であるかもだが、なかなか監督がいないところで自発的な勉強をするというのも邪魔になる誘惑の多い世の中。

まあこんなブログを読まなくても勉強したいなら自習サイトを活用するだろうけど、読みに来てくれたら何かためになることをと思って書いているものであります。

学校で勉強を習うと言いながら、実は子供しかいない学校という空間に隔離されることで、世の中で働けば学べることを子供たちは教わる機会を逸しているのではないかとすら思える。

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