近畿大学の試験問題から競プロについて考え直した

 信じてもらえるかは分からないが、俺にも高三の頃に数学の試験をサラサラ解ける頃があった。時間配分的に数学にほとんどの時間を費やし、その分他の教科は捨てていた。

 その後の事はさておき、今は45歳のおじさんで、それでもまだ部屋で勉強していることを通り掛けに外の小径から笑って過ぎていく人に腹を立てることがある。ギターの稽古をしていると外から音が聞こえるということが噂になり、本をペラペラめくる音やパソコンのキーボードを打つ音にノートに字を書く音など、外からは見えない部屋を視覚障碍者のように音で聞き当ててやろうとする輩が町に増えたのだ。

 まあ、ギターの音や勉強の音はそれで聞かれて恥ずかしいというか、恥じることでも無いのに笑われるのが腹立たしいが、中にはトイレの音や食事の音まで皆が静かにすると筒抜けになることに無力感を抱くのだ。引っ越したいと時々思うのだが、NHKの朝ドラの「らんまん」で描写される牧野像は長屋で勉強したということであって、それを顧みるとこの部屋で勉強できないということはないと辛抱の理由を組み立てる。

 今は古典の勉強をしているのだが、その分だけ化学や数学は忘れてしまった感じがして、数学の本をもういちど読むと何と小馬鹿にしていた近畿大学の入試問題である数列の極限が解けないのである。まあ試験時間は1時間だが、30秒考えてあきらめてもういちど答案を書き写す。その際にルーペを使って、その音に料理屋の主人が「みてうつしとるだけや」として料理器具をドンガシャと鳴らして怒ろうとするのだ。

 高校でも、板書を映すように本をただ見るのではなく模範解答を書き写して覚えるというのは普通の勉強法であるが、そうではなく「解く」という観点に立ち、料理屋の主人がズルをしたと腹を立てたのは分かるが、勉強にズルはしようが無い。

 書き写して、今度はノートの方を読んで考えると、計算が合わないのでもういちど本を開くと一カ所で+とーを間違えて写していたのだ。そこを赤いペンで直す。

 まあ、解けなくなったことには老いによる健忘を勉強で補えなかったということで恥じ入るのみだが、そもそも本を読むにもルーペの要る視力に衰えたのだ。

 そうして、流行りの競プロ(競技プログラミング)の俺の成績は「灰コーダ」と呼ばれるボリュームゾーンのど真ん中なのであるが、配点的にビギナーコンからレギュラーコンで!~3問程度を週末に2時間で解いたということだ。

 それで数学を数列からもういちど考えると、週末の2時間で難問を7問ほど解くと晴れて赤コーダーとなるわけで、そこまで行かずとも優良企業の就職が決ったりして、若者に人気がある要因のひとつだ。以前はただ競技として楽しまれていたのだが、社会認知が上がり就活に利用され競争者数を保っている。

 だが、よく考えると2時間で2問解いて1時間1問として、そうすると8時間勤務で1日8問、週40問と考えるとすさまじい生産性で企業貢献してくれそうな感じがして雇用が決まるのかもだが、冷静になるとそれくらいの内在的な勉強量があるゆえ週末に2時間で2問解くのであり、生産性になり週5日勤務になると週で2問程度の生産性で並コーダであり、競技としての集約性が成績の差を生むのではないかと考え直した。

 「命題」という言葉をあらためて考えると、古典的数学の研究者は一生をかけてひとつの数学的課題を研究したのだ。まさに命がけの一題だったのである。それが昨今ではコンピュータの発展で、毎月のように長期コンテストが開かれて、数学的未解決問題に続々と答えが寄せられる。

 だがその多くは光ファイバや無線による通信の功績で、数学的な才能を持つものが交通や言語の壁を越えて会合するから発展性があるわけで、コンピュータとして最新式だから何かが解けるというわけでも無さそうである。

 まあ、俺もいつまでも恥さらしのブログに変態趣味を見出さず帰り道を探す歳だろう。


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