とんだとばっちり「俺たちは日本人にそうされた」

 まあ何人信じてくれるかは分からないが、俺はファイナルファンタジーVIのアンドロイド/アイフォーン版のプログラマーである。しかし、スタッフロールには載っていない。

 テレビ局が「韓国人の半グレ集団」と素っ破抜いた犯罪模様が、そこにいた俺の目には彼らの事に映った。テレビのニュースって真実そのものズバリではなく、ちょっとグレーな事件をほのめかすように報道するんやなぁと思って見ていた。

 ファイナルファンタジーというのはスクウェア社のRPGの金字塔。とは言ってもドラゴンクエストⅢくらいの二番煎じ。まあドラクエ自体がWizの真似というと、そういう論争ばかりで終始するので、ここはそこまでとして、プログラムはソースコードがあれば僅かな改編で絵柄やシナリオを変えられるという観点で次の話に行く。

 もともと、プログラムというのはアセンブラと呼ばれる機械語の列であるが、機械語の列をひとまとまりとしてモジュールと呼び、名付けられたモジュールのコールをさらにコールモジュールとして組み上げられる。それらは半導体メモリやCPUから組み上げた歴史上の天才の所業を学んでプログラム組み換え可能式のノイマン型コンピュータになってからは、まずプログラムで組み上げられたシステムがあり、それを転送や複製して、ちょっと変えて製品として売るという商習慣があった。

 ドラクエⅢが出来てしまったら、ファイナルファンタジーも天外魔鏡もちょっとした絵の差し替えやシナリオの組み換えで、労力を減らして別のゲームとして売られたので「あろう」。プログラムがシステム化され改変を繰り返して俺が初めて自分のものにしたマイコンはウインドウズ95という恐ろしく難解なOSが乗っていた。

 そこからノイマン型コンピュータと呼べる隷属機械に巻き戻すため俺は15年の勉強を要したが、そうしてふたを開けて入ったゲーム会社の本丸には京都でありながらインド人や中国人とおぼしき人物が日本の名前でクリエイターとしてパソコンの前に座っていた。

 三カ月ほど勤務したが、本当に「パソコンの前に座っていた」としか言いようがなく、俺は派遣元会社が同じ高橋君と後は八木さん青木君、そして男女居る佐藤君佐藤さんくらいしか名前を覚えられなかったが、佐藤さんは派遣元が同じでもプロジェクトROCK(FFVIの社内コード)とは別で、俺が席に着く前に完成された仕様書があって、それを書いたのがインド人に見えるF子さん(仮名)の名前となっていた。

 そうして、思い出すのはFFの天才プログラマー「ナジャ」さんであるが、それはさておき俺と高橋君と八木さんと青木君で毎日プログラムを組み、発売日の二年も前にファイナルファンタジーVIは「出来て」いた。

 しかし、ケータイ版で1600円で100万本売れる計算であり、アップルストアやグーグルプレイストアの手数料があるとはいえ粗利10億円である。俺の給料は月給35万円で3ヶ月で105万円、残業無しで派遣というと会社3:自分7と信じてきた俺はこのファイナルファンタジーVIの案件を通じて会社99:俺1ではないかと勘繰り始めた。

 しかしまあ、社長さんがビルを5軒ほど持っているとはいえ総取りではなく、その粗利は品質管理の名のもとに従業員が大勢でお給料をもらいながらゲームを遊んで面白さを確かめるという仕事の期間で吸収される。およそ200人月給20万程度なので4000万円が24カ月でその間に京都の町でコンビニやマクドをはじめ料理屋でランチをするので払われた給料のうち飲食代は京都の町に返り、住まいも京都なら大家さんにも返っていき、立ち消えたような利益は京都市の市民税にもなるだろうし、要するに下っ端で街にばらまかれてしまって無くなっていくのである。

 そうすると俺が最初に組んだバイナリは「アルファロム」という名のもとに納品を完了してから、翌日には取り壊されて不良個所を含んだベータが出来る。それを2年かけて製品版を目標として組みなおされてゆくのだろう。

 その工程でアルファ版の俺の名前は消え、製品版には違う名前のスタッフロールが載る。これに不服は唱えたが「社内のルールですから」と一蹴される。

 その中で俺が尻尾としてつかんだ発言が半グレの「俺たちは日本人にそうされた」であって、やったの多分坂口博信だろうなーと思いながら、坂口博信の罪に対して同じ日本人であるということで俺が無関係に近い形で恨まれて、そうしても名前が残らなかっただけでお給料は支払われたので、提訴するには何の約束も破られていないとなる。

 そうなるとゲームなどには一銭も払わなくなり遊ばなくなるのが業界の普通らしいが、俺は執念深いしゲームを遊び足りないとも思って、それから十年は遊んでいる。

 ゲーム業界に反旗を翻そうというほど何か準備があるわけでもない。そしてFFVIのSFC版を作ったのも、今となっては誰の手柄か良く分からないのである。

 チーフプログラマーの名のもとに三カ月の納期のガントチャートを見せてパソコンの前に座っていた中国人とおぼしきMKさんは「SFC版はスクウェア様の内製です!」と言ったが、そのソースコードは京都にあった。

 おい昔の日本人、なにしてん?と思うが日本人でプログラマになりたいなんてのは少数派で、みんなパソコンやスマホを持って「やりたい仕事」をしていて指でピッとしたりマウスをポチっとして出来ない仕事は技師に丸投げなのである。

 だからして、こうしてキーボードで文字を打つウェブライターなんて仕事も不人気で、もっとこうタブレットを買ったらちょっとの課金でゲームや動画を楽しめる。その莫大な利権はいちどは誰かどこかの法人が手にするのかもだけど、新規開発よりは品質保証やら下位の名目で、持たないと何もできない人に利益消化されて日本経済は回るのだ。

 そうすると、俺もゲームプログラムは組めてもパソコンを何もなしから組み立てろと言われても完成品の基盤をはめ込んでケースに入れるくらいで、イチから何が出来るだろうと思うと、ここは韓印に頭を下げて引き下がるべきなのだろうかとは思っている。

 上善如水という成句は善なるものほど水が低いところに流れていくように下の立場を取るという意味だが、ゲームプログラマーって将来やりたい仕事を子供に問うた時に相当に上位職となる仕事ではある。そうすると、プログラマーがいて有名でもその基盤は誰が組んだのだとなると、同業者で相応に年を重ねるとハードウェアに下る人も多い。

 そうすると最後はシリコンバレーまでボーキサイトを掘りに行くかということになり、その観点からして「俺たちは日本人にそうされた」と怒る外国人も筋が通っているかと言えば何もかもを間違っているとは思うが、敵陣の中で日本人として孤立しても戦いに勝ち目はなく、皆が遊んでいるところで数名でFFVIを組み上げた戦果はせめて自分のブログの読者くらいには報告しておきたいと思ったのであった。


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