奈良で女と酒を飲んでもあまり楽しくはない件

 ウチは奈良県大和郡山市で故人ではあるが竹山社長の家まで徒歩5分。いろいろなコンピュータ関連産業の協力会社として仕事をしていたが、ビルを建てたり社員を増やすことはせずひたすら大阪千日前、道頓堀、宗右衛門町などで女と酒を飲んで利益を出さないようにしていた。社長と同級生で平社員の奥本さんが「ウチは社長が全部飲むから儲からへんねん」とこぼしていたが、社長は社員を飲みに誘って付いて行ったら全部おごってくれる。

 俺が入社する前は大阪の会社ではなく奈良の積水ハウスなどからも注文があり、従業員12名で自社ビルを持ったこともあるらしい。その頃の事は知らないが、俺のいた頃の有限会社フリーライフは家賃2万円の借家に社長の両親が同居で社長は離婚してバツイチ、おやっさんがミシンで洋装店を小さく営んでおられて、社長の洋服は親父さんのお手製。日蓮宗のお仏壇がドドーンと置いてあって、行くとお母さんが羊羹とポンジュースを出してくれる。会社の電話番号は家の電話で、たいていお母さんが出て「マサヒロか?」と出る(社長は竹山正博)

 その中に静かに電話線経由で動いているノートパソコンが自宅サーバーで、そこに有限会社フリーライフのホームページがあって、プリンタもあって、求人はウェブか職安経由になっていた。社長はPHSという簡易ケータイと従業員名簿のファイルが入ったずっしりしたカバンをいつも持ち歩いていて、いつも仕事の無い従業員をどこかで雇ってもらえないか探していた。法律的には従業員になると月給で毎月支払わないといけないのだが、現実的にそれほど売り上げがあるわけではなく、特定派遣の体を取って仕事を取って来て客先勤務があったら売り上げが出て給料も出る仕組みだ。

 俺は社長が大阪で飲むのがちょっと不思議だった。しかし、自分も役職が上がって奈良のキャバクラで月50万円くらい飲んでどうしてダメなのか分かった。月給は35万だったので、貯金を崩して飲んだのはカラオケが楽しくて平城山などの高校を出て和歌の心得がある女と酒を飲んで歌うのが特に気に入ったからだ。

 だが、ひと月くらい通ってみると、百人一首が百枚で終わるように、皆の持ち歌のローテーションがすっかり分かってしまい、それだけ売り上げたことが分かると他の興行系の女が付くカラオケ屋全国チェーンで同じ歌が展開されるようになった。

 アップル社のアイポッドを持った時も日本のヒットチャートと自分のかける音楽が完全にリンクしてつながったことはあったが、少し時代遅れのおっさんになった時に夜のカラオケがこれまたよく歌われる歌ランキングと完全に重なった。鶏が先か卵が先かみたいな話ではあるが、何となく歌った歌がカラオケで広まり、ちょっとしか歌を知らなかったキャバ嬢とかが他のお客さんにも歌って聴かせるので、リモコンで見られるランキングに食い込むと、キャバ嬢がリモコンのランキングで知らないものを仕入れて来て歌って聴かせてくれる。

 この流行は絢香の「遊音倶楽部」まで続き、全国的には「オムニバスに入ってる歌やったんやぁ」となって興が冷めたわけだが、YOASOBIのikuraちゃんがデビューするくらいまでテレビやラジオよりキャバクラのカラオケの方が流行度が俺の世界だった。

 カラオケを辞めて話をするとそれはそれで受け答えに興ざめだったりもするのである。黙って飲んでいるか、カラオケを歌うと面白いのだが、社長が大阪まで飲みに行く理由は多分田舎でバンドを始めた子が19歳で東京の下北沢に集まるのと同じような事ではないかと思う。

 夜も更けると俺の家のそばではしんと静まり返り、外を歩く人の足音や誰かが遠くで吹いた口笛の音が遠くまで響いたりする。カラオケランキングなら通信なので電気技師的な理解で遠くでも歌われる理由がそれであると考えるが、東京と奈良と離れていても同じ歌が流行っているのはテレビやラジオやネットのせいに後付けで見えてそう考えられがちだけど、歌をしていると不思議と離れた人と同じメロディや言葉を口ずさむとか、黙っていても聞こえてくるということがある。

 そういう体験をしてから、キャバクラにも行かなくなり、隣の席で酔っぱらって肩や腰に手を回してマイクで歌うのではなく、ちょっと人の事を思って歌うというだけで満足できるようになった気がする。金回りが悪くなって遊ぶ金が無くなったから、想像だけで我慢しているという風にも捉えることも出来ると思うが、電気通信なんて発明された頃には常軌を逸したものが普通になり、遠くまで口笛が響くとか心の声が聞こえるみたいな太古から文献で残っていたことが心を開いてあると信ずると見えるものも、便利な技術で人の心をふさいでしまったのではないかとすら思う。

 まあそうすると、奈良の女と酒を飲んでもつまらないというのも、京都で飲むと面白いのは町人文化が逆言葉で舞妓さんはおだてるのが上手いそのひっくり返しが何らか心に闇があって酒を飲む人が酔うとあり得ないお世辞でも嬉しいもので楽しいのであろう。奈良のお金持ちのお嬢さん体質で小遣いが無いからキャバで働こうとしてもお世辞なんて言えないもので、黙って飲んでいると可愛く見える子でも外国人か帰化二世かもしれず、まあ露骨に差別的ではあるが、話が通じないのは面白くない。

 そこへ来てカラオケがひとたび面白かったのだが、全国チェーンで同じ歌になると分かって返歌を歌っているか、かるたのように「それにはこれ」と決まったものを歌っているか区別は付けづらくなり、そこを会話で試してやるなんてのも野暮ってもんだ。

 まあ、先にも書いたが百人一首が百枚で出尽くすようにネタもパターンも売り切れで、後は昔の知らない歌を掘り下げるか新譜を待つかで、古いとか新しいではなく歌い手の心情として描かれるものが若いとか年寄りとか出会いとか恋とか別れだなと思うだけなのである。

 まあ、当然のことを断っておくが全ての奈良の女と飲んだわけではないから奈良の女と酒を飲んでもつまらないは主語が大きすぎるにつけ、奈良とか大宮で飲んで面白い会話になったことはなく、必然的に大阪か京都になるというつまらない話をお許しください。

 そして世の中の接客業はもっと羽振りの良いお客さんをもてなすためにあるもので、まあこれも先に書いたけど遊ぶ金が尽きてつまらなくなっただけの話かもしれない。

 高校生くらいのころは本当にカネが無くてゲーセンにたむろっているオッサンの車でカラオケに行きTMネットワークなどを歌った。今思うと謎で吐き気するわ。

 去年まで不老不死とか興味なくて早く死んじまいたいとか思ってたけど、いま遊ぶお金はあるから飲みたいと思うけど、この老け顔ではキャバクラに行って若い女がいてもモテようが無いだろうと思って若返りを求めるのだが、そこで幾ら出せるかがどれほど芝居の上手い女を買えるかと金額と多分密接に関係していて、若かったら安い女でも惚れた目で見てくれるかもなぁと思うと、年のせいなのかカネのせいなのかやっぱり分からなくなる。若い女でカネのある男の方が頼り甲斐があると思うものもいるって、本当なのだろうか。


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